京都市西京区大原野南春日町、長岡京の産土神として知られる「大原野神社」の向かい南側、朱塗りの「極楽橋」を渡った先にある真言宗東寺派の寺院。
山号は法寿山、本尊は千手観音で、古くから「西山のお大師様」として親しまれています。
奈良時代の唐から日本へと渡来し、奈良・唐招提寺に住持した鑑真の高弟・智威大徳(ちい)が、754年(天平勝宝6年)にこの地に隠棲し禅の修行した「春日禅房」がはじまり。
その後延暦年間(782-806)に伝教大師最澄が跡地に「大原寺」を創建したとも、また弘仁年間(810-24)には弘法大師空海が巡錫し、42歳の厄除けのため聖観音を彫刻したとも伝わっています。
その後「応仁の乱(1467-77)」の兵火で焼失するも、江戸初期の1615年(元和元年)に、恵雲(えうん)と徴円により再興され、現在の「正法寺」の寺名に改められました。
更に元禄年間(1680-1703)には、大原野の出身であるという江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院の帰依を受け、徳川家代々の祈願所となりました。
本堂に安置の本尊・三面千手観音像は像高181cmの木造の立像で、鎌倉初期に作られ、京都府南丹市園部町の九品寺から移されたもので、正面の顔以外に両耳の後に脇面を有するのが珍しく、国の重要文化財に指定されています。
また「宝生殿」の大黒天は足が動いているようにみえることから「走り大黒」と呼ばれて親しまれています。
境内には全体で200tにも及ぶといわれる全国から集められた巨岩・名石があることから別名「石の寺」と呼ばれ、またこれらの石を利用した複数の庭園があることでも知られています。
中でも有名なのは本堂前に広がる石庭の「宝生苑」で、東山連峰を借景とした借景式の山水庭園ですが、枯山水などといった形式に捉われない作りで、鳥や兎、ペンギン、象、フクロウ、獅子、カエル、亀など、15種類もの動物に似た形の石が配されていることから「鳥獣の石庭」と呼ばれています。
桜の名所としても知られていて、入口の朱塗りの「極楽橋」の上に咲く枝垂桜を皮切りに本堂へと続く道のりが桜色に染まるほか、境内の借景式庭園「宝生苑」にも1本の枝垂桜があり、薄紅色の桜が石庭と遠くに広がる京都市街地の景色に彩りを添えます。
桜以外にも春には山門前の梅林、秋には紅葉が楽しめることでも有名です。
ちなみに正法寺という名のお寺は日本各地にあり、京都にも東山区に「霊山正法寺」、また八幡市に「徳迎山正法寺」があります。