京都市西京区桂春日町、桂川の西、阪急桂駅の東にある桂離宮にほど近い旧山陰道沿いにある浄土宗の寺院。
「京洛六地蔵巡り」の一つで第3番札所であり、「桂地蔵寺」「桂地蔵」とも呼ばれています。
山号は久遠山(くおんざん)で、正式名を「浄土宗久遠山地蔵寺」、本尊は地蔵菩薩。
寺の創建の経緯は不詳ですが、その昔、一帯は桂の渡しに近く、丹波から桂川で運ばれ集積されていた材木の波止場だったといいます。
また平安時代には桂大納言と呼ばれた公卿・源経信(みなもとのつねのぶ 1016-97)の別邸「河原堂山荘」があった場所といい、桂河原を月の名所として山荘を営んだといわれているほか、三十六歌仙の一人である伊勢女(いせじょ 872- 938)などの歌人の住居があったともいわれています。
その後、現在も地蔵堂の東にある薬師堂に安置される鎌倉初期作の石造薬師如来坐像が祀られて信仰を集め、やがて寺に改められたと伝わり、また南北朝時代の1339年(暦応2年)に光厳天皇の勅許により虎関師錬が南禅寺の開山・無関普門(大明国師)の塔所として建立したともいわれていて、その後、1602年(慶長7年)に戦国武将・細川幽斎によって再興されました。
しかし何といっても有名なのは、本堂(地蔵堂)に安置されている「六地蔵めぐり」の一体とされている地蔵菩薩像(桂地蔵)です。
地蔵菩薩像は、平安初期の852年(仁寿2年)に、参議・小野篁(おののたかむら)が、一度冥土へ行った際に生身の地蔵尊を拝んだことで蘇った後、木幡山に立つ一本桜の一木から刻み6体の地蔵を彫り出したうちの一つと伝えられ、当初は6体とも伏見の六地蔵(大善寺)に安置されていました。
その後、平安末期保元年間(1156-59)の1157年(保元2年)、都で疫病が流行した際に後白河天皇が、都の守護および往来の安全、庶民の利益結縁を祈願して、平清盛や西光法師に命じ、京へと通じる6つの主要街道の出入口に一体ずつ分祀されました。
江戸時代にはそれぞれに六角円堂が建立されて各地蔵菩薩が安置され、寛永年間(1661-1673)にはほぼ現在の6か寺による「六地蔵めぐり」の霊場となったといいます。
そして現在はこの6体の地蔵菩薩を巡拝する「六地蔵めぐり(京洛六地蔵巡り)」が京都の夏を代表する伝統行事の一つとして知られいて、毎年8月22・23日の地蔵盆に行われ、多くの参拝客で賑わいます。
「六地蔵めぐり」では各寺に異なる6色の御幡(お札)が用意されており、このお札を6枚集めて持ち帰り玄関に吊るすと、一年の厄病退散、家内安全の護符となるといわれています。
さらに初盆には水塔婆供養をし、3年間巡拝すれば六道の苦を免れることができるとも伝えられています。
札所は下記のとおり
東海道 山科地蔵(徳林庵)
奈良街道 伏見地蔵(大善寺)
大阪街道 鳥羽地蔵(浄禅寺)
山陰街道 桂地蔵(地蔵寺)
周山街道 常盤地蔵(源光寺)
鞍馬口街道 鞍馬口地蔵(上善寺)
この点、桂に分祀されたものは一木の最下部をもって刻まれたもので、世に「姉井菩薩」と呼ばれ、寄木造で半丈六(2.6m)の大きさは六地蔵像の中で最大。2007年(平成19年)5月に新築された本堂(地蔵堂)に本尊として安置されています。
この他にも本堂には「京都洛西観音霊場(洛西三十三所観音霊場)」の第23番札所にもなっている観音菩薩像(十一面観世音菩薩)が、24番札所の念仏寺の十一面観世音菩薩もともに安置されているほか、「桂地蔵」の通称で「京の通称寺霊場」にもなっています。
また方丈の襖絵は長谷川等伯の筆で重文に指定されているほか、池泉式と枯山水と二つの庭園、鎌倉初期の薬師如来(石仏)や石造の宝筐院塔(ほうきょういんとう)なども見どころとなっています。