京都市西京区桂御園、京都市の西郊、阪急桂駅の東、桂川に架かる桂大橋の西詰そばにある山荘。
園内の庭園は修学院離宮とともに江戸期の名園として知られていて、現在はその修学院離宮のほか、京都御所・仙洞御所・大宮御所とともに宮内庁京都事務所が管理する皇室関連施設の一つとなっています。
この点「離宮」とは、皇居以外に設けられた宮殿=別荘のことで、時代を通じて数多く建てられましたが、現在残っているのは、東京では迎賓館(赤坂離宮)と旧芝離宮恩賜公園(芝離宮)が姿を変えた形で残され、京都では桂離宮と修学院離宮の2つのみです。
また「桂」の地は平安時代には「源氏物語」松風の巻にみえる「桂殿」のモデルになったと伝えられる藤原道長の別荘「桂殿」が営まれるなど古くから貴族の別荘地として知られた場所であり、また桂川と旧・山陰道(丹波街道)が交わるほか、桂大橋が架かる以前は「桂の渡し」が設けられるなど交通の要衝でもあった場所で、その後は長く近衛家に伝領されていたといいます。
そして江戸初期の1615年(元和元年)頃からは、八条宮(はちじょうのみや)家の所領に改められていて、その八条宮の創設者である智仁親王(としひとしんのう 1579-1629)が平安貴族の桂での雅趣豊かな故事を回想し、八条宮の別邸として古書院の原形である「瓜畠(うりばたけ)のかろき茶屋」を建設して造営に着手したのが「桂離宮」のはじまりで、約10年かけて1624年(寛永元年)頃には作庭も含めて一応の完成をみたといいます。
智仁親王は第106代・正親町天皇(おおぎまちてんのう 1517-93)の第1皇子で、皇位に着くことなく早世した誠仁親王(さねひとしんのう 1552-86)(陽光院)の第6皇子で、親王の第1皇子で第107代天皇となる後陽成天皇(ごようぜいてんのう 1571-1617)の異母弟にあたります。
1588年(天正16年)に邦慶親王が織田信長の猶子であったのに倣って豊臣秀吉の猶子(ゆうし)となり豊臣家の継承者として期待されますが、翌年に秀吉の側室・淀の方が男子・鶴松を生んだことから解消となり、1590年(天正18年)に八条宮家(桂宮家)を創設するとともに翌年には親王宣下を受けて「智仁親王」と名乗り、元服して式部卿に任ぜられました。
その後、豊臣政権の庇護を受けて皇位についていた後陽成天皇は、秀吉の死後の1598年(慶長3年)10月に突如弟の智仁親王への譲位の意を表明しますが、周囲の反対もあって断念し、この譲位の儀は中止となり、その後は古典文芸へ深く没頭するとともに、歌人としては1600年(慶長5年)には22歳の若さで細川幽斎(ほそかわゆうさい 1534-1610)より古今伝授(こきんでんじゅ)を受けるなどし、当代を代表する優れた文化人の一人でした。
1629年(寛永6年)に智仁親王が没すると一時荒廃しますが、1641年(寛永18年)に智仁親王の息子である2代・智忠親王(としただしんのう 1619-62)が幕府の援助も得て第2期の造営を開始し、更に1658年(明暦4年)年と1663年(寛文3年)の後水尾上皇の御幸に際して第3次造営に着手し、17世紀の前半、初代の造営着手から2代にわたり約47年をかけてほぼ完成させました。
当初は現在「古書院」と呼ばれる建物1棟に庭を配したものであったといいますが、智仁の子智忠の代に2度にわたって増築され「中書院」「楽器の間」「新御殿」が加わり、庭園も改修が重ねられ、現在は約2万1千坪(約6万9400平方メートル)の敷地に桂川の水を引いた池を中心とする回遊式庭園のほか、その周囲に巧みに配された古書院・中書院・新御殿の3棟の書院や、月波楼・松琴亭・賞花亭・笑意軒の4つの茶屋がほぼ完成された時の形のまま残されています。
八条宮家は継嗣に恵まれなかったことから皇族の皇子がこれを継承して宮家を継ぎ、宮号も常磐井宮(ときわいのみや)、京極宮(きょうごくのみや)、桂宮と改称し存続が図られましたが、1881年(明治14年)に淑子(すみこ)内親王が亡くなると桂宮家は断絶。
京都御所周辺にあった本邸の今出川第(いまでがわてい)は二条城本丸に移築されるとともに、桂にあった別邸も1883年(明治16年)に宮内省(現在の宮内庁)に移管され、それまでは「桂別業」などと呼ばれていたといいますが現在の「桂離宮」へと改められました。
その後、明治20年代から30年代にかけて全面的に修理された後、1955年(昭和30年)以降の桂川の改修に関連する地盤の緩みなどもあり1976年(昭和51年)4月から1982年(昭和57年)3月にかけて「昭和の大修理」が行われて現在に至っています。
造庭技術の粋を集めた池泉回遊式の庭園と数寄屋造の建物との調和のとれた美しさは日本庭園の最高傑作、日本庭園美の集大成ともいわれ、ドイツの建築家ブルーノ・タウトが戦前に著した「日本美の再発見」にて「世界に二つとない驚嘆すべき建築」「涙が自ずから眼に溢れる」などと最大の讃辞を述べて絶賛して以来、海外にも広く知られるようになったといいます。
現在の桂離宮は宮内庁が管理しており、参観は事前申込制で3ヶ月以上前の応募が必要。
この点、以前は18歳以上の無料公開でしたが、2018年(平成30年)7月より中学生以上の参観が可能となり、維持管理費の一部を賄う目的から18歳以上は有料となっています。