京都市西京区川島北裏町、市内から八条通を西へと進み、桂川に架かる桂大橋を渡った桂川西岸にある桂離宮より約500m南西にある阪急電鉄の京都本線と嵐山線の駅。駅スタンプは樫原の街並み。
阪急の2路線が乗り入れるほか、駅前の東西にバスターミナルが整備され、京都の西のターミナル駅として大きな役割を担っている駅です。
桂の地は桂川とかつての山陰道(丹波街道)が交差する場所であることから、古代より西国・山陰方面への交通の要衝として発展してきた地域で、現在は桂大橋が架けられましたが、桂川と街道の交差する場所にはかつては「桂の渡し」があり、また平安時代には藤原道長の別荘「桂殿」が営まれるなど古くから貴族の別荘地としても知られていた場所です。
その後昭和期に入った1928年(昭和3年)11月1日に新京阪鉄道の新京阪線が高槻町(現在の高槻市駅)から京都西院駅(現在の西院駅)まで延伸され、また支線として嵐山線が開通されるのに合わせ、その分岐駅として「桂駅」として開業したのがはじまりです。
その後1930年(昭和5年)9月に会社合併により京阪電気鉄道(現在の京阪の前身)の駅となり、更に1943年(昭和18年)10月に戦時中の企業統合政策によって京阪電気鉄道と京阪神急行電鉄(現在の阪急)と合併したのを経て、戦後の1949年(昭和24年)に京阪神急行電鉄(阪急)から京阪電気鉄道(京阪)が再度分離した際に新京阪線は京阪神急行電鉄(阪急)の路線となり、京都本線と改称されるとその所属駅となり現在に至っています。
開業当時は静かな田園地帯であった桂地域はその後昭和30年代後半以降の高度経済成長に合わせて急激に都市化が進み、また洛西ニュ-タウンの開発などに伴って更なる人口の激増と大量の交通需要を発生し、結果として桂駅に各種の交通が集中する事態となります。
このため1973年(昭和48年)に京都市と阪急との間で桂駅の周辺を総合的な計画の下で整備するための「桂駅周辺整備計画案」が発表されるとともに、桂駅には桂駅西通と桂駅東通や東西の連絡通路、駅前に東西の広場とバスターミナルの設置をはじめ、1985年(昭和60年)4月には駅舎の橋上化、更に1993年(平成5年)3月には商業施設の入る桂東阪急ビル(ミュウ)が完成するなど、京都の西の交通拠点にふさわしい機能が次々と整備されていき、2001年(平成13年)3月からは茨木市駅や長岡天神駅とともに阪急の特急停車駅となり、京都河原町および大阪梅田に乗り換えなしで到着できる利便性の高い駅となりました。
島式3面6線のホームを持つ地上駅で、橋上駅舎を有し、駅の東側には駅ビルのMEW阪急桂が直結しており、一方西側は橋上駅舎に広場と横断歩道橋の両機能を併せ持つペデストリアンデッキ(高架歩道)が設置されていて、東口と西口の双方の駅前にバスターミナルが設置され、京都市バスと京阪京都交通が乗り入れています。
桂の中心地であり西京区役所や西京警察署などのある千代原口交差点までは若干の距離がありますが、駅の東西のどちらにも住宅街が広がり近隣住民の貴重な交通手段となっています。
また観光スポットとしては、駅に隣接する形で阪急の車両基地である「桂車庫」があり車両が数多く停車している姿を駅の内外から見ることができるほか、駅の500mほど北東にある有名な桂離宮の最寄駅としても利用されています。