京都市右京区常盤馬塚町、山陰方面と京を結ぶ周山街道の入口にあたる常盤の地、県立嵯峨野高校や嵐電の常盤駅の近くにある、臨済宗天龍寺派の尼寺。
山号は「常盤山」で、本尊は小野篁作の六地蔵の一つである常盤地蔵(常磐谷地蔵、乙子地蔵)で、「京の六地蔵めぐり」の4番となっていることでよく知られています。
平安初期の811年(弘仁2年)、嵯峨天皇の第3皇子である左大臣・源常(みなもとのときわ)の別荘「常磐殿」を寺に改め創建されたと伝わっており、その後1157年(保元2年)に後白河法皇の深い帰依により中興され、小野篁の六地蔵の一体を祀り本尊としました。
1778年(安永7年)に真錐尼が霊源を中興開山に浄土宗より臨済宗に改め、その後、宗教宗派に関係のない庶民信仰の根源地、唯一全国自由地蔵信仰、信仰の自由総本山根本霊場となり現在に至っています。
また源義経の母・常盤御前の生誕地、常盤御前が営んだ庵の跡との伝承があるほか、入没の地ともされ、境内奥にある自然石の石組は常盤御前の墓と伝わっています。
案内板などもないため気づきにくいものの、寺地の東側には「源氏義経御母堂常盤御前御墓」と記す石塔が建っています。
ちなみに常盤御前といえば源義経の母としてよく知られていますが、「続日本後期」によれば、久安6年の宮中の皇后募集で千人の中から選ばれたという、歴史上初めての日本一の美女といわれている女性でもあります。
「六角堂(地蔵堂)」に祀られている地蔵菩薩像は、平安初期の852年(仁寿2年)に、参議・小野篁(おののたかむら)が、一度冥土へ行った際に生身の地蔵尊を拝んだことで蘇った後、木幡山に立つ一本桜の一木から刻み6体の地蔵を彫り出したうちの一つと伝えられ、当初は6体とも伏見の六地蔵(大善寺)に安置されていました。
その後、平安末期保元年間(1156-59)の1157年(保元2年)、都で疫病が流行した際に後白河天皇が、都の守護および往来の安全、庶民の利益結縁を祈願して、平清盛や西光法師に命じ、京へと通じる6つの主要街道の出入口に一体ずつ分祀されました。
この点源光寺(常盤地蔵)の地蔵菩薩はその大きさから、上善寺の鞍馬口地蔵(深泥池地蔵)を「姉子の地蔵」と呼ぶのに対し末っ子のことを指す「乙子地蔵(おとごじぞう)」とも呼ばれています。
現在はこの6体の地蔵菩薩を巡拝する「六地蔵めぐり(京洛六地蔵巡り)」が京都の夏を代表する伝統行事の一つとして知られいて、毎年8月22・23日の地蔵盆に行われ、多くの参拝客で賑わいます。
「六地蔵めぐり」では各寺に異なる6色の御幡(お札)が用意されており、このお札を6枚集めて持ち帰り玄関に吊るすと、一年の厄病退散、家内安全の護符となるといわれています。
さらに初盆には水塔婆供養をし、3年間巡拝すれば六道の苦を免れることができるとも伝えられています。
札所は下記のとおり
東海道 山科地蔵(徳林庵)
奈良街道 伏見地蔵(大善寺)
大阪街道 鳥羽地蔵(浄禅寺)
山陰街道 桂地蔵(地蔵寺)
周山街道 常盤地蔵(源光寺)
鞍馬口街道 鞍馬口地蔵(上善寺)
この点、源光寺の境内は普段は週末でも静かで落ち着いた雰囲気ですが、毎年8月22・23日の六地蔵めぐりの日は、大勢の参詣客が訪れて大いに賑わいます。
この他に年4回の例祭があり、「源光寺大祭」は毎年8月21日より23日の昼頃に開催されています。