香雪院(東山聖天)
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香雪院(東山聖天)のみどころ (Point in Check)
京都市東山区渋谷通東大路東入上馬町、境内南西の東山七条交差点角にある三十三間堂(蓮華王院)を管理していることで知られる天台宗三門跡の一つ妙法院(みょうほういん)の塔頭寺院。
東大路通の東山五条と東山七条の間にある馬町の交差点から渋谷街道を東に進んだ先にある東山警察署の渋谷交番が角にある交差点を南に下がった場所、あるいは東山七条の交差点から豊国廟参道(通称・女坂)を上がり、新日吉神宮を過ぎてすぐの京都女子大学(京女)のキャンパスの間の道を左に曲がり、北へ150mほど進んだ先に位置しています。
北隣に京都女子大学K校舎学生会館、南隣に京都女子中学校・高等学校、東隣に京都女子大学付属小学校と京都女子大学東山寮が隣接し、それ以外にも東側にずらっと京都女子大学およびその関連施設が立ち並んでいるエリアにあります。
江戸中期の寛保年間(1741-1743)(1743年とも)、第112代・霊元天皇(れいげんてんのう 1654-1732)の第18皇子である妙法院23世・尭恭法親王(ぎょうきょうほっしんのう -1764)により妙法院の庭園・積翠園(せきすいえん)の東に、同地が妙法院の鬼門にあたる丑寅(北東)の方角に当たることから、堂を建て持仏の聖天像を安置したのがはじまり。
聖天像は妙法院第2世・慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん 794-864)が中国の唐より持ち帰った双身聖天像(歓喜天)と伝えられ、続く妙法院24世・真仁法親王、25世・教仁法親王と聖天像の供養が行われたといいます。
その後明治時代になると、門跡寺院が廃止されて法親王の入山門主が禁じられたため衰退を余儀なくされますが、1877年(明治10年)頃に、中島良湛尼によって妙法院塔頭の尼寺として再建されます。
2世・中島秀湛尼(1880-1937)は7歳で初代・良湛尼の徒弟となり、翌年得度し妙法院門跡で修行を積んでいましたが、19歳の時に初代が亡くなると推されて2世住職となり、以降30年にわたって本尊を供養し寺は興隆、また本堂・書院を修理改築し、梵鐘を鋳造して鐘楼堂を新築するなど、堂宇の再建にも尽力ました。
また1940年(昭和15年)に跡を継いだ3世・中島湛海尼(1915-2006)は行願寺(革堂)住職を務め、1988年(昭和63年)には女性で初となる天台宗の最高位である「大僧正」に就任したことでも知られている人物です。
このように再建以来、歴代の住職を女性が務める尼寺であり、「尼寺三十六所霊場」の11番目の札所にもその名を連ねています。
本堂(歓喜天堂)には本尊の秘仏・双身聖天像を祀っています。
「聖天」とはは仏教の守護神である天部(毘沙門天・帝釈天・吉祥天などの天界に住む神々の総称)の一つである「歓喜天」の別名で、正式には「大聖歓喜大自在天(だいしょうかんぎだいじざいてん)」。
原型は古代インド神話において最高神・シヴァ神の息子で象を神格した「ガネーシャ神」と言われ、ガネーシャ神は元々は障害を司る神で人々の事業を妨害する魔王として恐れられる存在でしたが、やがて障害を除いて幸福をもたらす神として広く信仰されるようになりました。
ヒンドゥー教から仏教に取り入れられる際にも悪神が十一面観世音菩薩によって善神に改心し、仏教を守護し財運と福運をもたらす天部の神となり、日本各地の寺院で祀られるようになりました。
象頭人身(頭が象で体は人間)の姿で単身像と双身像があり、このうち双身像は男天と女天が相抱擁している姿で、夫婦和合・安産・子授けの神様として信仰されています。
そしてそんな聖天さんのシンボルとなっており、聖天を祀る寺院の境内で意匠としてよく見かけるのが「巾着袋」と「大根」ですが、大根は夫婦和合や縁結び、巾着は砂金袋(宝袋)で商売繁盛のご利益を現わしているといいます。
またその姿を見ると良くないことが起きるという言い伝えもあり、一般的にはその姿は簡単に見ることが出来ないよう多くは厨子などに安置され、秘仏として扱われており一般に公開されることは多くないといいます。
そして「百味供養」といわれるようにたくさんの供物をささげると多くのご利益が得られるともいわれ、平時より供物は欠かさず、また御縁日である毎月1日と16日には特別な供物が供えられるといいます。
中でも歓喜天の好物として有名なのが聖天さんのシンボルとして知られる「大根」であり、また仏教と共に遣唐使が中国から伝えて以来千年の昔より形を変えずに伝えられているという「歓喜団(かんきてん)」というお菓子だといいます。
なお歓喜天が祀られている寺院は「○○聖天」と通称されることが多く、京都府内では京都市東山区の香雪院(東山聖天)の他にも京都市山科区の双林院(山科聖天)、上京区の雨宝院(西陣聖天)、乙訓郡大山崎町の観音寺(山崎聖天)、木津川市の光明山聖法院(銭司聖天)があります。
香雪院(東山聖天)の施設案内
境内
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「東山聖天参道 香雪院 是より東北一丁半」の道標
東山七条の女坂の登り口に立つ
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山門
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東山聖天尊の石標
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鎮守社
山門くぐって右
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松の木
鎮守社の横
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石仏群
鎮守社の横
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庫裏と玄関
門くぐって正面突き当り
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中興碑と再建碑
中門左手前
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中門
山門をくぐって左手、境内に入る門
「ご自由にお参り下さい」と書かれている
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境内案内図
内門の右に掛かる手描きの案内図
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手水舎
中門くぐってすぐ左
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象の像
手水の横
象は歓喜天(聖天)の象徴
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藤棚
石鳥居の左
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歓喜稲荷社
藤棚の左奥
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石鳥居
くぐって突き当りが本堂、本堂左手に弁天堂、右手に庭園と書院
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石橋
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参道
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鐘楼
参道左手
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庭園
石鳥居くぐって右手書院の前
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鎮守社
本堂(歓喜天堂)の手前右
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書院
御朱印はこちらで
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七重塔
庭園の中
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本堂(歓喜天堂)
ご利益は除病除厄、富貴栄達、恋愛成就、夫婦円満、除災加護
本尊の歓喜天像は秘仏のため逗子の中
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弁天堂
花天井と弁財十五童子の出自と由来の説明版
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東山警察署 渋谷交番
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京都女子大学J校舎
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馬町交差点
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香雪院(東山聖天)の主な年間行事・カレンダー
年中行事
月並行事
- 毎月1・16日
歓喜天尊御縁日
花ごよみ
香雪院(東山聖天)のレポート・旅行記
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