京都市東山区金園町、八坂の塔の西に位置する天台宗寺院。
「庚申信仰発祥の地」といわれ、大阪・四天王寺および東京・台東区にかつてあった東京入谷庚申堂とともに「日本三庚申」の一つに数えられるほか、猿田彦神社(山ノ内庚申)、尊勝院(粟田口庚申堂)とともに「京洛三庚申」の一つにも数えられています。
創建年代は不詳(960年(天徳4年)とも)ですが、寺伝によれば飛鳥時代に渡来系氏族の雄・秦氏の族長であった秦河勝(はたのかわかつ)が渡来した際に持参し秦氏の守り本尊として祀られていた青面金剛童子(しょうめんこんごうどうじ)を平安時代の伝説的な僧・浄蔵貴所(じょうぞうきしょ 891-964)が一般の人でもお参りできるようにと開放したのがはじまりとされています。
浄蔵貴所は平安中期に活躍した天台宗の僧で、文章博士・三善清行の子で、母は嵯峨天皇の孫とも伝わり、4歳で千字文を読み、7歳で父を説得して仏門に帰し、熊野や金峯山を経て12歳で宇多法皇の弟子となり、受戒後は19歳で比叡山横川に籠って毎日法華六部誦経、毎夜六千反礼拝を行ったといいます。
加持祈祷を得意とし、呪力を発揮して数々の予言や奇跡を起こしたことで知られ、菅原道真の怨霊に悩んだ藤原時平を護持祈念すると2匹の青竜が時平の左右の耳から頭を出した話や、平将門の降伏を祈祷し調伏した話、五重塔(八坂の塔)が西に傾いた際に加持により元に戻した話、一条戻橋にて死んだ父・三善清行を一時的に蘇生(そせい)させた話などが有名で、日本三大祭の一つである「祇園祭」の山鉾の一つである「山伏山」のご神体としてもおなじみです。
この点「庚申信仰」とは、1年365日の中で60日ごとに、年に6~7回訪れる庚申(かのえさる)の日の夜に眠らずに身を慎むことで、寿命を縮めず長生きできるように祈る信仰のこと。
これは道教の考え方の中にある行いの善悪によって寿命が増減するという「三尸説」に基づいたもので、すなわち庚申の日の夜には、人が眠りに就いた後、体内に住む三尸(さんし)と呼ばれる虫が身体から抜け出して、その人の行いを司命道人(閻魔大王)に報告し、命を縮めるとされていて、そこで、三尸が報告に行くことが出来ないように庚申の夜は眠らないで身を慎むという、守庚申(しゅごうしん)という風習が生まれました。
庚申信仰は、奈良時代に日本へ伝わり、まず貴族の間で流行し庚申御遊(ぎょゆう)と称したて詩歌管弦の遊びが催され、その後は武家でも「庚申待(まち)」として会食が行われたりもしました。
また仏教や修験道、神道など、さまざまな信仰や習慣が入り混じって、信仰対象の特定されない特異な信仰として庶民の間にも広まります。
「八坂庚申堂」は正式名称を金剛寺というインド由来の仏教寺院で、元々は中国の道教思想に由来する庚申待ちとは無関係でしたが、本尊・青面金剛が三尸の虫を食べるといわれることから、日本の民間信仰で独自に発展して庚申待ちの夜に拝まれる対象となり、庚申信仰発祥の地として、広く親しまれるようになっていったといわれ、所願成就、病気平癒、無病息災、災難除け、タレコ封じ、縁結び、学業成就、商売繁盛などのご利益で信仰を集めています。
現在の本堂は江戸初期の1678年(延宝6年)に再建されたもので、本堂の手前の融通尊と書かれた小堂には釈迦の弟子である十六羅漢の筆頭といわれる「賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう)」が鎮座し、腰痛や頭痛など、悩んでいる患部と同じ場所をなでると、病気が治るとされ「なで仏」として親しまれています。
そして境内の本堂や融通尊の周囲に数多く吊るされている色とりどりの布で作られた「くくり猿」は、猿が手足を縛られて動けない姿を表現しているといい、猿は動き回り落ち着かない人間の心を象徴し、欲望のまま行動する猿の手足をくくり動けなくすることで、わがままな自分の心を戒めるためのお守りだといいます。
くくり猿に願いを一つ託し、願うを叶えるために欲を一つ我慢することで、願いが叶うといわれ、座禅中に猿が動き回るように心が乱れて集中できないとき、その乱れた心を猿を鎖でつなぐようにイメージし、心をコントロールしなさいという教えに由来したものだといいます。
周辺の民家やお店の軒先にもくくり猿が吊るされているのが見られるほか、近年ではそのカラフルな御守りが所狭しと吊されている風景がSNS映えすると人気で、着物を着た多くの観光客が訪れるようになっています。
またくくり猿以外にも手作りのオリジナル御守りやお札なども人気で、中でも「指猿」と呼ばれる指の先に猿の顔が描かれた手芸上達の祈願の御守りは、一つひとつが職人の手作りで、大きさや形、そして猿の表情も実にバラエティに富んでおり、愛嬌のある猿の顔が人気を集めています。
行事としては毎年1月6日・7日の新春祈祷会と5/3および60日ごとに訪れる庚申日に行われる「こんにゃく封じ祈祷」が有名。
寺の開基である浄蔵貴所が庚申尊の霊示により父親の病気の治癒祈願に本尊にこんにゃくを捧げたところ無事に回復した由緒にちなんだものだといい、祈祷を受けたこんにゃくを頭上に吊っておくと病気が治るという信仰から、病名を書いた紙人形をコンニャクに貼って奉書紙に包んで天井に吊るすと、こんにゃくから水気が抜けるように病が抜けるといわれています。
また参拝者は厄除けの「こんにゃく焚き」の接待を受けることができ、くくり猿の形にくり抜かれた3個の祈祷済のこんにゃくを北の方角を向いて無言で食べると、無病息災に過ごせると伝えられています。