京都市東山区、京都を代表する観光名所で修学旅行生や外国人観光客にも人気の清水寺の境内北側に隣接し、有名な「清水の舞台」のある本堂を出てすぐ左側の石段を登った先に鎮座する神社です。
「地主神社」とは、神社や寺院が建立される際、その土地の地主神を祀るために建立される神社のことで、神社の境内に末社として、あるいは寺院に隣接して祀られることが多く、中でも寺院に隣接する地主神社は、本来は鎮守社として隣接する寺院の一部であったものが、明治初期の神仏分離令で独立したものがほとんどです(この場合は「じぬしじんじゃ」と読む所も)。
この点、清水寺に隣接する地主神社も同様に明治以降に独立した神社であり、全国に数ある「地主神社」の中でも特に著名な神社として知られています。
その歴史は清水寺よりも古く、社伝によれば創建は日本建国以前の神代とされ、それを裏付けるかのように近年、境内にある「恋占いの石」が原子物理学者ライル・ボースト博士による科学的年代測定によって縄文時代のものであると証明されています。
清水・八坂一帯の総産土神として古代より信仰を集め、平安時代には嵯峨天皇、円融天皇、白河天皇が行幸。
970年(天禄元年)の円融天皇行幸の際には、勅命により臨時祭が行われ、これが今日の例大祭「地主祭り」の起源となっているといわれています。
江戸時代までは清水寺の鎮守社でしたが、明治に入ってすぐ、1868年(明治元年)の「神仏分離令」により地主権現社は「地主神社」として清水寺から独立。近代社格制度のもと郷社に列格します。
第二次世界大戦後は、京都周辺の旧民社を中心とする神社が加盟する神社本教に所属し、1999年(平成11年)からは当社宮司が神社本教主管(代表)を務めています。
現在の社殿は、清水寺も再建された江戸初期の1633年(寛永10年)、3代将軍・徳川家光が造営したもので、本殿、拝殿、総門および境内地が国の重文に指定。
また1994年(平成6年)には、歴史的経緯から清水寺の一部という形で「古都京都の文化財」として世界遺産にも登録されています。
古くから「縁結び」の社として有名で、文献では江戸時代にも「恋占いの石」で恋を占う若い男女が大勢詰め掛けたとの記述が残っているといい、若い女性やカップルだけでなく、海外からの観光客にまで人気。
また本殿の前には縄文期より伝わる一対の守護石「恋占いの石」があり、10mほど離れた距離を目を閉じて歩き、一方の石からもう一方の石に辿り着ければ願いがかなうといわれ、恋愛成就を占う石として人気を集めています。
春には桜の名所として知られ、境内を彩る桜の中でもとりわけ「地主桜」は謡曲に歌われたほど名高いことで知られています。