「浄土宗西山派」と証空(西山国師)
「証空(しょうくう)(西山国師)(1177-1247)」とは、鎌倉初期の浄土宗の僧。
西山上人と通称されるほか、勅諡号は鑑智国師、善慧房(ぜんねぼう)とも。
浄土宗の宗祖・法然の弟子で浄土宗西山(せいざん)派の派祖
加賀権守・源親季(ちかすえ)の長男として生まれ、9歳の時に京都の公卿で内大臣・久我通親(こがみちちか)の養子となる。
1190年(建久元年)、14歳の時に出家し法然の弟子となり浄土宗の教義を学ぶ。
1198年法然が「選択(せんちゃく)本願念仏集」を著した時には勘文(かんもん)役を務めたほか、法然の代わりに九条兼実に「選択集」を講じたり弟子たちへの手紙の代筆をするなど法然門下で高い地位を占めていた。
1212年(建暦2年)に法然が入滅すると西山の善峰寺北尾往生院(三鈷寺)に住み浄土教の宗旨の宣揚に尽力し今日の西山派の基礎を築く。
宮中との関係が深く当時の貴族階級に多くの支持者を集めたことから、法然の他の門弟が京都から法難によって追放されていく中で京における最大勢力となった。
高弟の法興浄音(ほっこうじょうおん)、円空立信(えんくうりゅうしん)、観鏡証入(かんきょうしょうにゅう)、道観証慧(どうかんしょうえ)はそれぞれ流派を開き「西山四流」と呼ばれている。