「福寿寺」は南丹市八木町船枝、八木町船井地区の帝釈天山の中腹にある曹洞宗の寺院。
山号を紫雲山、本尊は帝釈天で、通称「京都帝釋天(きょうとたいしゃくてん)」の名で知られる帝釈天を祀る「帝釈天堂」を管理していることで知られている寺院です。
この点「帝釋天」は元々はインドの神話に登場する天空や雷を司る英雄神・インドラといい、これが仏教に取り入れられ、仏教の守護神である天部の1柱とされました。
天上界の神々を統率し、持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王を側近に従え、厄、難、邪、悪、病魔等を打ち払ってみなぎる力を与え給い、更に、百施の王者として「心から信ずる者の願いごとを叶えてくださる」霊験あらたかな力強い仏神で、いつとはなく「小遣いや金銭に不自由しない」といわれるようになり、この面でも幅広く信仰を集めています。
全国的には人気映画「男はつらいよ」の影響もあってか、寅さんの実家の団子屋前にある東京都葛飾区の柴又帝釈天がよく知られています。
福寿寺所蔵の「紫雲山小倉寺縁起」によれば、奈良時代の780年(宝亀11年)、に和気清麻呂により丹波国吉富ノ庄舟枝千谷(当時)の地にて帝釈天像を感得、一宇を建立して「紫雲山小倉寺」と称したのがはじまり。
以来、京都の仙洞御所や歴代の園部藩主など多くの人々から「願いごとの叶う神」として崇敬を集め、また帝釈天を庚申(こうしん・かのえさる)の日にお祀りしたことから「庚申さん」と呼ばれて親しまれ、古くから近畿における庚申信仰の一大拠点されました。
応仁年中、寛永年中に2度の火災に遭っていますが帝釈天の尊像は不思議に難を逃れたといい、現在の堂宇は江戸中期の1688年(貞享4年)、時の園部藩主・小出伊勢守を初めとする各地の信者からの浄財により再建されたもので、京都府指定文化財に指定されています。
現在は「宗教法人 福寿寺 帝釋天堂」として福寿寺が京都帝釋天を有し、代々福寿寺の住職が山主を務め、京都帝釋天の管理や祭日の運営は福寿寺檀家の講社員と、町村合併以前からの船枝村住民の講社員が行っているといい、現在でも庚申の日には多くの人が参詣するといいます。
本堂須弥壇には本尊・帝釈天立像を安置し、草創当時は四天王像がその帝釋天を守る形で東西南北に配置されていたものと考えられていますが、現在は脇侍として増長天立像、多聞天立像(毘沙門天立像)を安置されています。
そして本尊は古来よりのしきたりで30年~40年に一度しか開帳が行われていないといい、近年では1917年(大正6年)、1953年(昭和28年)、1992年(平成4年)に開扉されていて、今後は庚申(かのえさる)の年にともいわれているそうです。
帝釈天堂は、福寿寺の本坊から離れた山上にあり、山麓から本堂の石段下まで約700mの参道には「願いの鐘」と呼ばれる鐘が数珠玉と同じ数という108基並んでいて、参拝者はそれを1つずつ静かに打ち鳴らすことにより、帝釈天に願いを聞いてもらうことができるようになっていて、また人気映画「男はつらいよ」でおなじみの「寅さんの鐘」も上納されています。
そして願いの鐘を打ち鳴らしながら参道を登っていくと、城壁を想わせる石垣の高みに本堂が建っており、その本堂前には生まれ年(十二支)のお守り本尊が種子としての梵字で刻まれているという「金色の法輪」が設置されていて、大晦日の夜には百八の願の鐘に引き続き、全ての法輪に灯明が灯り、心身を清め健康を呼ぶという「火の輪くぐり」を行うことができます。
その他にも境内には庚申にちなんで猿に関連した石像や木像などが多く見られます。