京都府木津川市加茂町北、JR加茂駅の北東の木津川の南岸に鎮座する神社。
賀茂氏の祖である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を祀る神社で、式内社(式内大社)、旧社格は郷社。
「釈日本紀」に収載の「山城風土記」逸文によれば、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、日向国の高千穂の峰に天降られた神で、初代・神武天皇(じんむてんのう B.C.711-B.C.585)が東遷を行った際、サッカー日本代表のシンボルマークにもなっていることでも有名な八咫烏(やたがらす)に化身し、熊野から大和への難路の先導をしたといわれていて、大和平定の後は大和国・葛城山の峰にとどまった後、最終的に落ち着くこととなる山城国・下鴨神社(賀茂御祖神社)に至る途中に山城国・岡田の賀茂を通ったと記載があり、これが岡田鴨神社を指すと考えられ、このことから下鴨神社の元宮とする考え方もあるようです。
そして第10代・崇神天皇(すじんてんのう B.C.148-B.C.29)の時代、前述のような建角身命に縁のある岡田賀茂の地に、賀茂氏族の発展を祈願して賀茂氏による奉祀にて下鴨神社より祖神・賀茂建角身命を勧請し創建されたと伝わっています。
文献上の初見は859年(貞観元年)の「日本三代実録」で、当社に従五位上の神階を授けるとあり、また平安中期の927年(延長5年)にまとめられた当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である「延喜式神名帳」においては山城国相楽郡に「岡田鴨神社 大 月次新嘗」として、式内大社に列するとされ、古くより高い格式を有する神社であったといいます。
その後1873年(明治6年)には郷社とされ、1877年(明治10年)に式内岡田鴨神社と決定され現在に至っています。
元々は現在地より北西に鎮座していましたが、木津川の流路が変わる度に水害に遭ったことから、水害を避けるために当時は天満宮が祀られていたとされる現在地に遷座されたといい、現在の本殿にて鴨神社と天満宮が並んで祀られているのはその名残りですが、天満宮の方が境内社の扱いとなっています。
ちなみに同地は「続日本紀」の708年(和銅元年)9月22日の条に見える元明天皇の「岡田離宮」の地であるとも言われ、離宮が廃された後、その旧跡を保存するために天満宮が祀られたともいわれています。
一方、岡田鴨神社の旧地の方は、現在は藪となっていて、旧地であることを示す石碑「鴨大明神趾」が建てられています。
現在の「本殿」は江戸時代に春日大社から移築されたもので、移築当時の春日造(春日移し)が残されているといい、2018年(平成30年)に末社「金刀比羅神社」の本殿とともに京都府指定文化財に指定。
その他にもも境内は緑豊かで本殿裏にある楠の巨木が見事なほか、天満宮にちなんだ紅白の梅もあり、また春は桜、夏には百日紅の花が境内を彩ります。
行事としては毎年7月25日に開催される天満宮の祭礼である「夏越祭」が知られていて「茅の輪くぐり」が行われて多くの参拝者で賑わいます。