京都市右京区京北宮町宮野、国道162号(周山街道)と国道477号が交差する周山バスターミナルから国道477を東へ進み、桜の名所である常照皇寺を過ぎた桂川の上流域にある集落「宮地区」にある神社とその社前にある桜の木。
黒田の地は山国や花背、広河原などの他の京都市最北端の地域とともに平安遷都に伴って山国杣(やまぐにそま)として天皇家の直轄地である禁裏御料(きんりごりょう)に指定され、都への木材の供給地となり、その後明治期に私有地化してからも林業の盛んな地域として栄えた地域です。
「春日神社」は平安中期の1013年(長和2年)、古代より当地の領主であった藤原氏の氏神である大和の春日大社の祭神を勧請し「宮野大明神」として創建したのがはじまり。
鎌倉後期の1324年(正中元年)に宮村・上村・下村に分村された際には当初は3村の氏神として祀られていましたが、1329年(嘉暦3年)に上村に別に春日神社が建立されて以降は宮村・下村の2村の氏神となっています。
そして江戸中期の1723年(享保8年)に京都の吉田神社に願い出て「春日大明神」と改められた後、1883年(明治16年)に「春日神社」と公に定められられ現在に至っています。
社殿は鎌倉期の1265年(文永2年)に京北では数少ない三間社造で造営された後、現在のものは1703年(元禄16年)より1年かけて完成させたもので、2003年(平成15年)11月には氏子の奉納により本殿横の摂社の素屋根が完成しています。
また1337年(建武4年)建立の「宝蔵」は、京北地域で確認できる現存最古の遺構で、材料や構法に珍しい点が見られるとともに全体に元の古い材がよく残っており「京都市指定有形文化財」となっています。
そして「黒田の百年桜」はその春日神社の社前、大鳥居の左手にある樹齢300年を超える山桜(ヤマザクラ)の一種。
かつて春日神社の脇には桜の大木があったといいますが、1973年(明治6年)の台風によって倒木してしまい、これを惜しんだ村人がその古木跡に一本の八重桜を植えたところ、通常の桜と思い何気なく植えたものが、一重と八重の混じって咲く珍種であったことが判明。
突然変異種のため種子はできないとのことですが、1977年(昭和52年)、有名な京都の円山公園の枝垂桜など全国の桜の「桜守」として知られる造園業の佐野藤右衛門(さのとうえもん)親子が約30年に及ぶ執念の末に苗づくりに成功し、父の15代目佐野藤右衛門(さのとうえもん 1900-81)により、この幻の品種が当時樹齢およそ100年であったことや明治100年にあたることから「黒田百年」と命名されました。
そして1983年(昭和58年)には大阪造幣局の桜の一般公開「通り抜け」百年を記念して若木2本が同局内に植樹され、広く親しまれています。
幹周りは約3.1m、高さは約8m、樹齢は300余年ともいわれ、突然変異で10~12枚の八重の中に一重の混じる紅色の大輪の花が手鞠のように固まって咲くのが大きな特徴で、例年4月中旬から下旬にかけて美しい花を咲かせ、ライトアップも行われるほか、見頃の時期に合わせて神社向かいにある田舎のコンビニ「おーらい黒田」の広場にて「黒田百年桜まつり」も開催され、琴の演奏などの催しのほか、よもぎ餅や山菜などの特産品の販売も行われます。