京都府宇治市宇治山田、宇治川を挟んだ平等院の対岸にある曹洞宗永平寺派の寺院。
正式名は仏徳山(ぶっとくさん)観音導利院(かんのんどうりいん)興聖宝林禅寺。
山号は仏徳山(ぶっとくさん)で、本尊釈迦如来(釈迦三尊)。
鎌倉初期の1233年(天福元年)、曹洞宗の宗祖・道元(どうげん)が中国・宋での留学を終え帰国後、京都の南郊、深草(京都市伏見区)の極楽寺(ごくらくじ)跡に建立した「興聖宝林寺(観音導利興聖宝林禅寺)」がはじまりとされています。
僧侶の教育・育生を目指す修行道場として全国最初に開かれたことから「曹洞宗初開道場」とされ、以後11年間、曹洞宗最初の禅寺として、更には道元門下の修行の場となり栄えました。
しかし比叡山延暦寺の弾圧を受けて1243年(寛元元年)に道元が越前国に下向し同地に永平寺を開いて以降は荒廃し、さらに兵火にも遭って住持4代で廃絶となります。
その後江戸初期の1645年(正保2年)、淀城主・永井尚政(ながいなおまさ)が、摂津住吉の臨南庵より万安英種(ばんあんえいしゅ)を中興開山に迎えて5世住持とし、「宇治七名園」の一つとして知られた「朝日茶園」のあった地に再興し現在に至っています。
江戸時代には畿内を中心に末寺250余ヵ寺を抱え、諸国から多くの雲水(うんすい)が集まり修行する場となり、越前の永平寺、加賀の大乗寺、能登の総持寺、肥後の大慈寺とあわせて「日本曹洞五箇禅林」と謳われました。
現在も禅道場として全国から修行僧が集まるだけでなく、一般の人が参加できる日曜参禅会なども開かれ、座禅体験をすることができます。
本堂には本尊・釈迦三尊像を安置するほか、伏見城の遺構を移築した「血天井」や、鴬張りの廊下があることで知られています。
この点、血天井は1600年の伏見城落城の際、徳川家康の家臣・鳥居元忠以下1800人が石田三成の軍勢と交戦し、380人あまりが自刃して果てた際の血の手形が残されているもので、他にも鷹峯の源光庵、東山の養源院などのものが知られています。
また本堂の奥に建つ天竺堂には「源氏物語・宇治十帖」の手習にちなむ手習観音(てならいかんのん)を安置。 平安中後期に彫造された木造聖観音立像で、かつては源氏物語「宇治十帖」の古跡「手習の杜(てならいのもり)」に祀られていたことからこう呼ばれて親しまれています。
そして境内の一番の見どころとなっているのが、宇治川右岸に面した総門より本堂手前の竜宮造りの三門までの約200mの緩やかな坂の続く参道で「琴坂」と呼ばれています。
参道脇を流れる谷川のせせらぎの音が琴の音色に聞こえることからこう呼ばれるようになったといい、ツツジ、サツキの美しい前庭とともに「宇治十二景」の1つに数えられて古くから多くの人に親しまれているほか、「京都の自然200選」にも選ばれています。
また秋はモミジのトンネルが楽しめる紅葉の名所として有名なほか、自生するヤマブキが花を咲かせ、新緑も美しい4月末から5月初旬もおすすめです。
行事としては毎年10月の「宇治茶まつり」の際に執り行われる「茶壺口切の儀」や、境内の茶筅塚前での「茶筅塚供養の儀」が知られています。