京都府宇治市宇治山田、宇治橋から宇治川東岸の朝霧通りを上流(南東)へと進み、宇治川に架かる朝霧橋とその向かいにある宇治神社を過ぎてすぐの所にある真言宗智山派の寺院。
寺伝によれば、平安初期の822年(弘仁13年)、弘法大師空海の創建と伝わり、創建当時は唐の青龍寺に似ているところから「龍泉寺」と呼ばれていたといいます。
その後、平安中期の1005年(寛弘2年)に比叡山横川の恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)によって再興され、寺号を「朝日山恵心院」と改めました。
恵心僧都は浄土宗の基礎となった985年の「往生要集」の編者として知られているほか、紫式部の「源氏物語」の「宇治十帖」の中で宇治川に入水したヒロインの浮舟を助け、新たな道を歩ませることとなる「横川の僧都」のモデルと言われている人物です。
1589年(天正17年)には秀吉から30石を賜るなど、豊臣秀吉、徳川家康といった時の権力者の庇護を受けて伽藍の整備が行われたと伝わり、近世は春日局が竹千代(後の3代将軍・徳川家光)の安産祈願のため当時を訪れたという縁故もあり、家康によって宇治代官、茶頭取に任命された宇治茶師上林一門の後援を受けたといいます。
現在は寺域は縮小され、江戸初期の1676年(延宝4年)に建てられた本堂と表門を残すのみ。
本堂には宇治市指定文化財にも指定されている平安後期作の本尊・木造十一面観音立像および恵心僧都自作の坐像を安置し、また境内には水子地蔵も多く安置されているといいます。
この他にも「花の寺」として知られていて、境内の庭園には四季折々の草花が植えられ、訪れる人々の心を和ませてくれます。
春は参道の両脇を「ヤマブキ」と「スイセン」が彩るほか、境内の「三春瀧櫻」は福島県三春町にある国の天然記念物で日本三大桜の一つ「三春滝桜」の子桜です。