京都市山科区西野山中臣町、、山科の西南部、椥辻駅の西方に鎮座する神社。
稲荷の主神である倉稲魂神(うがのみたまのかみ)のほか、保食神(うけもちのかみ)および稚産霊神(わくむすびのかみ)の計3柱が祭神として祀られています。
神社境内の京都市史跡である「稲荷塚」は6世紀、約1500年前のもので、稲荷神の前身である祖先神(田の神)が祀られれていた聖地であったといいます。
社伝によれば、711年(和銅4年)に伏見稲荷の大神が西野山(後の稲荷山)に降臨した際、三ヶ峯の次に降りたのが折上の森にあった稲荷塚で、これは山に対する信仰と生産の信仰が一体となって稲荷信仰が生まれたと考えられていて、我が国の極めて古い民間信仰の姿をとどめているといいます。
そして稲荷社の総本社である伏見稲荷大社からその神体山である稲荷山を通して一直線上に拝める場所、すなわち聖地と聖地が一直線上で結ばれるレイラインにあることから「伏見稲荷奥の宮」とも呼ばれ、より強力な稲荷大神のご利益が頂けるとして信仰と集めています。
幕末には、第121代・孝明天皇(こうめいてんのう 1831-67)の即位に際して長橋局(ながはしのつぼね)など天皇の側に仕える多くの女官たちが病気となったことから当社で病気平癒を祈願したところ、奇跡的に回復したことから、女官たちの間では「折上稲荷様の御利益は折り紙付き」といわれるようになり、また天皇は今後も女官たちが元気で働いてくれる様にとの願いを込め「長命箸」を奉納。
以来「働く女性の守り神」「女性守護のお稲荷さん」「女性の商売繁盛祈願」として厚く信仰されることとなり、以後もアメリカの大富豪・J・P・モルガンの甥と結婚して日本の近代史上最高ともいえる玉の輿に乗り、日本の女性、とりわけ京の女性の名前を世界に広めた祇園の芸妓・モルガンお雪(もるがんおゆき 1881-1963)が篤く信仰していたことでも知られ、現在も多くの女性社長や起業家からOL 、女優や女性芸能人、女性タレントなどがお忍びで参拝するといいます。
その他の見どころとしては、摂社「三九朗稲荷」は稲荷大明神を守った白キツネ3頭を祀っており、苦労してやっとこの地にたどり着いたことから、人間が生きる上での三大苦労、すなわちお金・人間関係・健康が報われる神様といわれ、こちらも厚い信仰を集めているほか、1500年前に折上稲荷大神が降りられた根元地である稲荷塚にある20以上の祠などの様々なご利益スポットをめぐる「稲荷塚ご利益めぐり」が行える点、また授与品としては毎年風水にちなんで前掛けの色がその年の開運色に変わるという折り紙で折り上げた御守「稲荷きつね折り上げ守り」の授与が行われていることでも知られています。
行事としては6月第1(または第2)日曜日に開催される「折上稲荷祭」が有名で、神輿渡御では当社が働く女性の守り神であることから女性も担ぎ手として多く参加し祭りを盛り上げます。
また11月第2日曜日の「お火焚祭(長命祭)」では病気平癒や無病息災を祈願してキツネ巫女による湯立て神楽や火焚き神事が執り行われるほか、火焚きにより焼かれた病気封じの焼きいもの授与や稲荷うどんの接待も行われています。