京都市伏見区竹田内畑町、地下鉄烏丸線「竹田」駅の南東、城南宮へ向かう途中にある天台宗の単立寺院。
王城鎮護のため不動尊を北に向けて安置していることから、一般に「北向不動」「北向きのお不動さん」の名で親しまれています。
この点、周辺一帯は水郷地帯であるとともに交通の要衝でもあり、平安中期には院政の舞台となった大規模な「鳥羽離宮」が造営された場所でした。
ある年、鳥羽天皇が病気になり、興教大師覚鑁(こうきょうだいし かくばん)が天皇の病気平癒を祈願した際、不動明王が出現したちまち回復したことから、1130年(大治5年)に鳥羽天皇の勅願により、覚鑁を開山として鳥羽離宮の一角に寺が創建されたのがはじまり。
そして仏師・康助が刻んだ(大師自ら刻んだという説もあり)と伝わる不動明王が、王城鎮護のため北向きに安置されたことから、鳥羽上皇より「北向山不動院」の名を賜ったといいます。
ちなみにこの像は一願不動として知られる秘仏で、重要文化財にも指定されているほか、「近畿三十六不動尊」の第22番霊場にも選ばれています。
1155年(久寿2年)、播磨国(兵庫県)大国の庄を寺領として、藤原忠実が中興。
その後「応仁の乱」の兵火など、しばしば災害に遭っていますが、幸い本尊・不動明王は難を逃れ、更に朝廷の庇護もあって近世に復興。
現在の本堂は江戸時代の1712年(正徳2年)に東山天皇の旧殿を下賜され、移築したものです。
門前には大きな道標が建ち、道路からは朱色の山門がよく目立つほか、境内には様々な信仰を持つ地域の人々が持ち寄った多数の小堂や石仏や地蔵などがひしめいており、幾つかの石像の不動明王像や、滝の行場には苔むすお不動さん、更に十二支守り本尊の石仏なども見られます。
この他にも境内には名水の「洗心水」や鳥羽天皇御寵愛の松、更には「大護摩厳修道場」などもあり、御縁日である3日、16日、28日には護摩堂にて護摩が厳修されるほか、鳥羽天皇誕生の1月16日には、秘仏の本尊が開扉され、特別加持祈祷が行われるとともに採灯大護摩供も厳修。また毎月16日には本堂内部で不動明王を直接お参りすることもできるといいます。
周囲は近年開発が進み、都市高速もそばを通るなど往時の面影はほとんどありませんが、東に近衛天皇陵、北に鳥羽天皇陵、西に白河天皇陵、そして北東には安楽寿院と歴史的な佇まいも残されており、城南宮や鳥羽離宮公園などと併せて散策するのがおすすめです。