安楽寿院

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安楽寿院

院政の舞台となった鳥羽離宮東殿に建立した仏堂が起源

真言宗智山派。平安後期院政の舞台となった鳥羽離宮の東殿に鳥羽上皇が仏堂を建立し創建。 院政の終結で離宮の御所や仏堂が姿を消す中で存続。 大師堂、阿弥陀堂などの堂宇のほか鳥羽天皇と近衛天皇の陵が隣接。 上皇の念侍仏と伝わり胸に卍が刻まれ卍阿弥陀とも呼ばれる本尊阿弥陀如来座像ほか重文も多数

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安楽寿院とは?(基本データ)

名前
安楽寿院(あんらくじゅいん)
エリア
鳥羽・竹田・淀
ジャンル

寺社 多宝塔

建立・設立
1137年(保延3年)、鳥羽上皇が平安後期に院政の舞台となった鳥羽離宮の東殿に仏堂を建立し阿弥陀三尊像を安置したのがはじまり
1156年(保元元年)、鳥羽法皇が崩御し埋葬される(現在の鳥羽天皇安楽嘉院陵)
1157年(保元2年)、皇后の美福門院が新御塔を建立し後に近衛天皇が埋葬される(現在の近衛天皇安楽嘉院南陵)
1606年(慶長11年)、豊臣秀頼により現在の多宝塔が再興される
創始者
鳥羽上皇
宗派
真言宗智山派
山号
なし
本尊
阿弥陀如来
寺紋
 
アクセス
  • 京都市営地下鉄烏丸線「竹田」駅下車 南西へ徒歩約10分
  • 近鉄京都線「竹田」駅下車 南西へ徒歩約10分
  • 京都市営バス「竹田浄菩堤院町」(南3号系統)下車 徒歩約2分
駐車場
乗用車7台分 無料
拝観料
境内自由
■本尊拝観
└300円(団体250円)
※団体割引は30名以上
お休み
行事や法事などがある場合
拝観時間
本尊以外は自由拝観(本尊拝観は事前に電話予約)
住所
〒612-8446
京都府京都市伏見区竹田中内畑町74
電話
075-601-4168
FAX
075-601-5268
公式サイト
安楽寿院

安楽寿院の地図

安楽寿院のみどころ (Point in Check)

京都市南郊の伏見区竹田に位置する真言宗智山派の寺院。
境内に接して鳥羽天皇陵と近衛天皇陵の2つの陵のほか、鳥羽離宮ゆかりの史跡が数多く残されている皇室ゆかりの寺院です。山号はなく、本尊は阿弥陀如来。

一帯は平安後期に「鳥羽離宮(鳥羽殿)」が建てられて「院政」の舞台となった場所。
その「東殿」には大きな池があり、鎌倉時代の史書「百錬抄」によれば、1137年(保延3年)、鳥羽上皇が御堂(仏堂)を建立し阿弥陀三尊像を安置したのがはじまりとされています。

当時は「御堂」と呼ばれていたが、鳥羽上皇が没した後「安楽寿院」と称するようになり、安楽寿院には日本各地の膨大な荘園が寄贈され、これらは安楽寿院領(後に娘の八条院暲子に引き継がれて八条院領と称されるように)として、皇室(大覚寺統)の経済的基盤となったといいます。

その後、寺は1296年(永仁4年)と1548年(天文17年)に火災、また1596年(慶長元年)には地震の被害を被っており、創建当初の仏堂などは現存していません。
そして慶長年間(1596-1615)には豊臣秀頼により復興されていますが、その後再び荒廃し現在の安楽寿院は、6つ存在した子院のうちの前松院が寺籍を継いでいる寺院です。

現在の境内には本尊を安置する阿弥陀堂阿弥陀堂(薬師堂とも)のほか、弘法大師空海像を安置する大師堂、書院、庫裏などがあり、いずれも近世以降のものでですが、時代を経て離宮が廃れていく中で、安楽寿院は当時の姿を残す遺構として貴重な存在です。

また境内には平安末期・藤原時代の作である釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊の石造三尊像「三如来石仏」が伝わっています。
江戸時代に出土したと伝えられ、このうち保存状態のよい阿弥陀三尊像は京都国立博物館に寄託され、釈迦三尊と薬師三尊は大師堂の手前にある小屋にて拝観が可能となっています。

この他に境内に隣接するようにしてある鳥羽天皇陵と近衛天皇陵は、ともに元々は「本御塔」と「新御塔」として建立された三重塔で、天皇の陵墓に多宝塔を用いる稀有な例とされています。

まず「本御塔(ほんみとう)」は阿弥陀堂建立の2年後の保延5年(1139年)、鳥羽上皇(のち鳥羽法皇)が生前に造る墓である寿陵として右衛門督・藤原家成に造らせたもので、法皇が1156年(保元元年)に没した際に墓所とされました。
ちなみに現在の安楽寿院の本尊である「阿弥陀如来坐像」は、この本御塔の本尊として造られたものと推定されており、中央に卍のを刻むことから「卍阿弥陀」とも呼ばれ重文にも指定されています。

一方「新御塔」の方は1148年(久安4年)頃に鳥羽法皇の皇后・美福門院のために建てられますが、美福門院はその遺言により高野山に葬られており、新御塔には鳥羽法皇と美福門院との子で夭折した近衛天皇が葬られました。

そしていずれも度重なる火災などにより造営当時の塔は現存しませんが、まず本御塔は1612年(慶長17年)に仮堂が建てられた後、幕末の1864年(元治元年)に瓦葺き宝形造屋根の仏堂として再興され安楽寿院西側に現存しており、「鳥羽天皇安楽寿院陵」として宮内庁が管理しています。

またもう一方の「新御塔」は豊臣秀頼により1606年(慶長11年)に多宝塔形式で再建されたものが安楽寿院南側に現存しており、「近衛天皇安楽寿院南陵」としてやはり宮内庁が管理しています。

この他に幕末の「鳥羽・伏見の戦い」においては、安楽寿院が官軍の本営となったことから、鳥羽伏見の戦いの史跡にもなっています。

安楽寿院の施設案内

 

境内

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    山門

     

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    石標

     

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    書院・庫裏

     

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    庭園

     

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    参道

     

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    鳥羽離宮跡復元図

     

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    地蔵群

     

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    鐘楼

     

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    阿弥陀堂

     

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    大師堂

     

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    手水舎

     

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    三如来石仏

     

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    宝筐印塔

     

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    三宝荒神社

     

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    鳥羽離宮跡配置図

     

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    鳥羽離宮復元庭園

     

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    本御塔(収蔵庫)

     

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    近衛天皇安楽寿院南陵(新御塔)

     

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    白河法皇・鳥羽法皇院政の地石碑

     

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    冠石

     

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    鳥羽天皇安楽寿院陵(法華堂)

     

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    碁盤梅

     

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    石造五輪塔(如法経塚)

     

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    枝垂桜

     

鳥羽離宮跡めぐり

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    真幡寸神社旧地

     

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    油小路石碑(北向不動明王道標)

     

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    北向山不動院

     

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    中宮塚(陵墓参考地)

     

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    白河天皇成菩提院陵

     

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    西行寺跡(火消地蔵尊)

     

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    田中殿公園

     

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    鳥羽離宮田中殿之跡石碑

     

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    後宮塚(陵墓参考地)

     

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    浄菩提院塚(陵墓参考地)

     

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    城南宮

     

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    春ノ山

     

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    小枝橋

     

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    鳥羽伏見戦跡石碑

     

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    鳥羽離宮跡公園

     

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    秋ノ山

     

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    鳥羽離宮南殿跡

     

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    鳥羽殿跡

     

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    鳥羽殿跡石碑

     

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