京都市伏見区東大手町、伏見の代表的な繁華街である大手筋商店街沿いに南面して伽藍を構える日蓮宗寺院。
山号は福昌山、本尊は十界曼荼羅。
安土桃山時代の1594年(文禄3年)に教行院の日受によって伏見城大手門近くの西浜堺町に創建されたのがはじまり。
その後、徳川家康の次女・督姫(良正院)(とくひめ 1575または1565-1615)の帰依を得て、江戸初期の1614年(慶長19年)に現在地に移転されました。
この点、督姫は1583年(天正11年)に徳川家と北条家の和睦条件の一つとして相模の戦国大名・北条氏直(ほうじょううじなお 1562-91)に嫁ぐも、秀吉による「小田原征伐」の翌年の1591年(天正19年)に氏直が病没すると家康の元に戻って伏見に居を構えていましたが、1594年に豊臣秀吉の仲介で後に姫路藩初代藩主となり姫路城を現在の姿に修復したことで知られることとなる戦国大名・池田輝政(いけだてるまさ 1565-1613)に嫁ぐことに。
そしてその年に開創された本教寺の住職・日受に帰依し、自らの土地や屋敷を本教寺に提供したと伝えられていて、日受はその後1614年(慶長19年)に譲られた土地に本教寺を移し現在に至っています。
境内には督姫が豊臣秀吉から贈られたという牡丹が植えられたことから「慶長牡丹の寺」とも称され、また池田家伝来と伝わる「妙見宮」も建てられていることから「大手筋の妙見さん」とも呼ばれ、「洛陽十二支妙見めぐり」の第7番・午(南の方角)として開運厄除や旅行安全、家内安全のご利益で人々より信仰を集めています。また境内社の「秋山白雲霊神」も痔疾祈願の霊場として有名です。