京都市東山区本町15丁目、臨済宗東福寺派の大本山である東福寺境内の南にある東福寺の塔頭寺院。
創建の詳しい経緯は不明も、室町時代の1391年(明徳2年)に金山明昶(きんざんみょうしょう)が開創。
その後、明治維新後の「神仏分離令」に伴う「廃仏毀釈」により荒廃するも、1911年(明治44年)に横幕滴泉(よこまくてきせん)の入寺により再興され、20年以上にわたる托鉢が続けられて現在の本堂が建立されたといい、堂内には本尊である金造仏の釈迦牟尼仏が安置されています。
建物や庭園は明治後期から昭和期にかけて整備されたものですが、このうち一番の見どころは方丈前の庭園「波心の庭」で1939年(昭和14年)に重森三玲(しげもりみれい 1896-1975)の作庭によるものです。
重森三玲は岡山県に生まれ、日本美術学校で日本画を学んだ後、いけばなや茶道の研究を経て、庭園については青年期に入り独学で学んだといい、シュールレアリスム理論に傾倒して前衛生け花を提言し、創作的茶道を実践し、また全国の著名な庭園を実測調査して造られた「日本庭園史図鑑」を著すなど、それぞれの分野の研究者として重要な業績を残している人物です。
なお元々の名前は重森計夫といい「三玲」の名は、フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーにちなみ本人が改名したものだといいます。
そして作庭家としても100数十の庭園を手掛けるなど昭和期を代表する作庭家の一人で、力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水庭園に大きな特徴を持ち、代表作としては、東福寺の方丈庭園「八相の庭」のほか、大徳寺瑞峯院の庭園、松尾大社の庭園などが知られています。
「波心の庭」は白砂と苔の中に多数の石組みを配した池泉式の枯山水庭園で、東福寺の方丈庭園と同時期に設計されたもので、三玲の初期の名作の一つであり、名前の由来は「雲ハ嶺上ニ生ズルコトナク、月ハ波心ニ落ツルコト有リ」という禅の言葉に由来しているといいます。
寺号にちなみ「光明」をテーマに作庭されていて、大海を表す白砂の3か所に配された釈迦三尊、阿弥陀三尊、薬師三尊の3つの三尊石組から放射状に放たれる光明のように斜線状に立石が並んでいるのが特徴で、その背後に皐月(サツキ)や躑躅(ツツジ)の刈り込みで雲紋を表現し、その雲の上には庭から見ると東の空から月が昇る姿を楽しめるように茶亭「蘿月庵」が配されています。
そして苔の美しい庭園で春は桜やつつじ、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と四季折々に様々な表情を見せることから「虹の苔寺」とも称されている名園です。
また波心の庭の他にも、境内の入口には1962年(昭和37年)に同じく重森三玲が作庭した「雲嶺庭」があります。