嘉祥寺(深草聖天)

嘉祥寺(深草聖天)

 

 

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嘉祥寺(深草聖天)とは?(基本データ)

名前
嘉祥寺(深草聖天)(かしょうじ(ふかくさしょうてん))
エリア
東福寺・稲荷
ジャンル

寺社

建立・設立
851年(嘉祥4年)
1662年(寛文2年)、再興
創始者
[開基] 文徳天皇
[開山] 真雅
[再興] 天台僧・空心
宗派
天台宗
山号
 
本尊
大聖歓喜天
ご利益
開運招福
寺紋
 
アクセス
  • 京阪本線「龍谷大前深草」駅下車 徒歩約12分
  • 京阪本線「藤森」駅下車 徒歩約15分
  • JR奈良線「稲荷」駅下車 南へ徒歩約20分
  • 京都市営バス「僧坊町」(臨南5号系統)下車 徒歩約3分
駐車場
あり
拝観料
無料
お休み
不定休
拝観時間
境内自由10:00~16:00
住所
〒612-0871
京都府京都市伏見区深草坊町71
電話
075-641-4102
FAX
075-641-4153
公式サイト
深草聖天 嘉祥寺 Instagram

嘉祥寺(深草聖天)の地図

嘉祥寺(深草聖天)のみどころ (Point in Check)

京都市伏見区深草坊町、大聖歓喜天を本尊とし「深草聖天」の通称で知られている天台宗の寺院です。

平安初期の851年(嘉祥4年)2月、第55代・文徳天皇(もんとくてんのう 827-858)が先代で父の第54代・仁明天皇(にんみょうてんのう 808-850)の菩提を弔うため、その陵の傍らに天皇の住居であった御所の清涼殿を移して寺とし、当時の年号をとって寺号を「嘉祥寺」と名付けたのがはじまり。

開山は空海の弟で十大弟子の一人である真雅(しんが 801-79)で、当初は真言宗で、現在地よりも南東の深草瓦町付近にあったといいます。

878年(元慶2年)には官寺・国分寺に次ぐ寺格を有する定額寺(じょうがくじ)とされるなど大いに隆盛し、広大な寺域と伽藍を持つ大寺院であったといいますが、平安後期には衰微して仁和寺の別院となり、室町時代の「応仁・文明の乱」により焼失・廃絶となります。

その後、江戸初期の1662(寛文2年)に「安楽行院」を空心が再興した際、同院の境内に聖天尊を祀って「安楽行院嘉祥寺」として旧嘉祥寺の名を継ぎます。

この点「安楽行院」とは深草の地にかつて存在していた寺院で、創建の詳しい経緯は不明ですが、鎌倉中期に藤原道基が現在地の嘉祥寺の付近に自身の持仏堂であった法華堂を移し、更に仏堂を造営して建立した寺院で、法華堂には1304年(嘉元2年)に後深草天皇の遺骨が納められて以降、鎌倉から戦国期にかけての持明院統派の12人の天皇(後深草・伏見・後伏見・後光厳・後円融・後小松・称光・後土御門・後柏原・後奈良・正親町・後陽成)および栄仁親王の遺骨が納められるという、泉涌寺境内にある月輪陵と並ぶ天皇陵の一つ「深草十二帝陵」を管理していたと考えられています。

しかし明治初期の「神仏分離令」に伴う「廃仏毀釈」および天皇陵の整備政策による仏教施設の排除を受け、1894年(明治27年)に再建された安楽行院の伽藍の大部分は廃され、法華堂をふくむ跡地は「深草北稜(ふかくさのきたのみささぎ)」として宮内庁の管理下となります。

そして現在は日本最古の大聖歓喜天を本尊として安置する「嘉祥寺」として「深草聖天」の通称で開運招福を祈願する人々から信仰を集めています。

この点「聖天」とはは仏教の守護神である天部(毘沙門天・帝釈天・吉祥天などの天界に住む神々の総称)の一つである「歓喜天」の別名で、正式には「大聖歓喜大自在天(だいしょうかんぎだいじざいてん)」。

原型は古代インド神話において最高神・シヴァ神の息子で象を神格した「ガネーシャ神」と言われ、ガネーシャ神は元々は障害を司る神で人々の事業を妨害する魔王として恐れられる存在でしたが、やがて障害を除いて幸福をもたらす神として広く信仰されるようになりました。

ヒンドゥー教から仏教に取り入れられる際にも悪神が十一面観世音菩薩によって善神に改心し、仏教を守護し財運と福運をもたらす天部の神となり、日本各地の寺院で祀られるようになりました。

象頭人身(頭が象で体は人間)の姿で単身像と双身像があり、このうち双身像は男天と女天が相抱擁している姿で、夫婦和合・安産・子授けの神様として信仰されています。

そしてそんな聖天さんのシンボルとなっており、聖天を祀る寺院の境内で意匠としてよく見かけるのが「巾着袋」と「大根」ですが、大根は夫婦和合や縁結び、巾着は砂金袋(宝袋)で商売繁盛のご利益を現わしているといいます。

またその姿を見ると良くないことが起きるという言い伝えもあり、一般的にはその姿は簡単に見ることが出来ないよう多くは厨子などに安置され、秘仏として扱われており一般に公開されることは多くないといいます。

そして「百味供養」といわれるようにたくさんの供物をささげると多くのご利益が得られるともいわれ、平時より供物は欠かさず、また御縁日である毎月1日と16日には特別な供物が供えられるといいます。

中でも歓喜天の好物として有名なのが聖天さんのシンボルとして知られる「大根」であり、また仏教と共に遣唐使が中国から伝えて以来千年の昔より形を変えずに伝えられているという「歓喜団(かんきてん)」というお菓子だといいます。

なお歓喜天が祀られている寺院は「○○聖天」と通称されることが多く、京都府内では京都市伏見区の嘉祥寺(深草聖天)の他にも京都市東山区の香雪院(東山聖天)、上京区の雨宝院(西陣聖天)、京都市山科区の双林院(山科聖天)、乙訓郡大山崎町の観音寺(山崎聖天)、木津川市の光明山聖法院(銭司聖天)があります。

そして「歓喜天堂」は後西天皇(ごさいてんのう 1638-85)の勅許を得て1698年(元禄11年)11月29日に建立されたもので、堂内に祀られている秘仏の歓喜天は室町時代には「福運の聖天」と呼ばれ、また江戸時代になっても多くの人がその加護を受けたといい、中でも大聖寺の前田義國や一代で巨財を築いた大阪の商人・田中屋吉兵衛、山田屋儀エ門、大阪屋半兵衛、淀川利兵衛や天保の頃の伊原傳兵衛など、そのご利益を受けた人は数多く、その神力の程は日本最古の中で3か所随一といわれてます。

嘉祥寺(深草聖天)の施設案内

 

境内

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    参道と「日本最初 歓喜天 嘉祥寺」の寺号標

    参道を進んで突き当りを右に曲がると表門

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    表門

     

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    手水舎

     

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    庭園

    境内の様子

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    歓喜天堂(本堂)

     

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    庫裏(寺務所)

    聖天堂の手前右

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    十二帝供養塔

     

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    供養塔の左隣
    祭祀は不明

関連

周辺

嘉祥寺(深草聖天)の主な年間行事・カレンダー

年中行事

1/1~1/15

初聖天

 

2/1・2/2

開運・厄除け祈願会

 

2/3

星祭り節分会

 

4/10から

春季聖天会

 

6/16

嘉祥喰い

 

10/10

秋季聖天会

 

11/1

写経上納日

 

12/16

終い聖天(お札納め)

 

月並行事

毎月1日・16日

御縁日

 

花ごよみ

 

椿(ツバキ)

聖天堂の手前左と寺務所と本堂の間

 

梅(ウメ)

枝垂梅

 

水仙(スイセン)●

 

 

梔子(クチナシ)●

 

 

紅葉(こうよう)

 

嘉祥寺(深草聖天)の口コミ

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