京都府長岡京市神足二丁目、京都市の南西に位置する長岡京市の東側の「神足地区(こうたりちく)」にあるJR西日本(西日本旅客鉄道)のJR京都線(東海道本線)の駅。駅スタンプは竹と竹の子。
東海道本線は東京都の東京駅から兵庫県神戸市の神戸駅までを結ぶJRの鉄道路線で、日本の鉄道路線としては最古の路線で、明治初期に初めて日本に鉄道が敷設されて以来、日本の鉄道交通・物流の大動脈を担い続けています。
1872年(明治5年)に新橋駅(のちの汐留駅)~横浜駅(現在の桜木町駅)間が日本で最初の鉄道として開業された後、関西では1874年(明治7年)の大阪駅~神戸駅間の仮開業を経て、1877年(明治10年)2月に京都駅~神戸駅間の営業が開始されました。
そして乙訓地域では1876年(明治9年)7月26日に長岡京市の北にある向日町駅~大阪駅間が延伸開業され、その後も向日町に向日町駅、南の大山崎村には山崎駅があるのに、新神足村にない状態が続きこのため鉄道省や大阪鉄道局に対し度々請願や陳情が行われたといいます。
これが功を奏し1929年(昭和4年)に鉄道省から停車場を新設する旨の内示令があり、村をあげて寄付金が集められるなど住民たちの努力が実る形で1931年(昭和6年)8月1日、日本国有鉄道(国鉄)東海道本線の向日町駅~山崎駅間に「神足駅(こうたりえき)」として開業に至りました。
神足駅の設置と同時に竹薮だった駅周辺は区画整理が行われ、工場が誘致されて一大工業地帯となるなど都市化が進み、1964年(昭和39年)には町と駅東側に所在する企業が分担する形で費用を支出し駅東口が開設されます。
その後、当時としてはモダンなつくりであったという駅舎も老朽化が進み、また1972年(昭和47年)10月1日には市政施行によって駅の所在地が1949年(昭和24年)に新神足村・海印寺村・乙訓村の3村が合併してできた長岡町から「長岡京市」となったこともあり、市の玄関口にふさわしい駅舎へ改良が決定。
1987年(昭和62年)、翌年に開催される「京都国体」を前に、西口と東口を橋でつなぐとともに駅の橋上化が進められ、現在の橋上駅舎へと改築されています。
更に1989年(平成元年)には「神足駅西口地区市街地再開発事業基本構想」が策定されたのを受けて、西口の再開発事業が進められ、1995年(平成7年)9月1日には、長岡京市で唯一のJR駅であることから駅の名称を「長岡京駅」と改称するとともに、平日全ての快速が停車する駅となり現在に至っています。
なお駅の所属は1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化によって西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となり、また1988年(昭和63年)には路線愛称の制定によって「JR京都線」の愛称を使用が開始され、その所属駅となっています。
島式ホーム2面4線を有する地上駅で、橋上駅舎を持ち、東西の出口は駅舎および地下通路で連絡しています。
この点、世界的に知られる電子部品メーカーの村田製作所の本社が1961年(昭和36年)より当駅の駅前に移転されており、本社ビルは駅舎よりも目立つ駅周辺のランドマークタワー的な存在となっています。
駅の西側約800mの所にある阪急長岡天神駅や長岡天満宮を中心とした長岡京市中心部からはやや離れているものの、村田製作所をはじめ企業のオフィスなどが多くあることから企業への通勤客が多くみられる駅で、また桂川を隔てた東側の京都市伏見区西部の住民の利用も多いといいます。
そして駅の利用客の増加を受けて駅周辺にはマンションやビルなども建設され、また西口駅前には「バンビオ広場」とスーパーマーケットの平和堂(フレンドマート)も入居する総合ショッピングモール「バンビオ」が整備されるなど、長岡京市の玄関口にふさわしい駅へと変貌を遂げています。
このバンビオ広場では一年を通じて賑わいを創出するため、月ごとに市民参加のフリーマーケット「青空個展市」や「ものづくり市」なども開かれているほか、また近年は駅西口の大通りの街路樹やバンビオ広場公園の一帯を長岡京ならではの竹を使ったイルミネーションで装飾する「バンビオイルミネーション」が12月上旬から1月中旬にかけて行われていて、長岡京市の新たな冬の風物詩として人気を集めています。
その他にも毎年11月の第2日曜日に開催される長岡京市最大の祭りである「長岡京ガラシャ祭」において、戦国武将・明智光秀の娘・玉(細川ガラシャ)の細川忠興への輿入れを再現した行列のルートとしてJR長岡京駅前が入っているほか、バンビオ広場でも楽市楽座のイベントが開催され大いに賑わいます。