京都市右京区花園妙心寺町の妙心寺山内にある臨済宗妙心寺派の寺院で、妙心寺派大本山である妙心寺の塔頭寺院。
40あまりある妙心寺の塔頭寺院のうち、通年拝観が可能な数少ない寺院の一つです。
所蔵する如拙筆「瓢鮎図」が国宝に指定されているほか、2つの庭園で有名で、このうち枯山水の方丈庭園は「元信の庭」と呼ばれ江戸時代、狩野元信作と伝わり禅寺の雰囲気が色濃く、またもう一方の「余香苑」は昭和の名園で桜をはじめとする四季折々の草花が美しいことで知られています。
室町時代の1404年(応永11年)、越前福井の豪族・波多野重通が妙心寺3世の無因禅師を開山として創建。
最初は妙心寺の外に所在していましたが、のちに場所を妙心寺山内に移し、さらに山内での移転を経て16世紀に現在地に境内が定まりました。
現在の方丈(本堂)は慶長年間(1596~1615年)の建立で、開山の祖・無因宗因を祀り、室内の正面中央に桟唐戸を設置せず仏間の背面に長五畳の眼蔵をつくるなど古式を伝える様式となっています。
そして方丈(本堂)前の方丈庭園「元信の庭」は回遊式に観賞式を加味した枯山水の庭園で、室町時代の画家・狩野元信の作と伝わり、国の名勝・史跡に指定されている名園です。
そして何といっても有名なのが、足利義持の命で水墨画の祖といわれる相国寺僧・如拙が描いた「瓢鮎(ひょうねん)図」で、室町時代の名作として国宝にも指定されていますが、本物は現在は京都国立博物館に寄託されており、模本が展示されています。
瓢箪でなまずを押えるという禅の公案、すなわち試験問題を絵に表したものだといい、宮本武蔵がこの瓢鮎図を前に自問自答したという寺伝が残るなど、寺のシンボルにもなっており、山門の瓦や食事会場大休庵の窓など、境内のいたる所になまずや瓢箪をモチーフにしたデザインが施されているのを目にすることができます。
また現代に入り1965年(昭和40年)に完成した昭和の名園「余香苑(よこうえん)」は造園家・中根金作の手による800坪(2600平方m)の回遊式山水庭園で、紅枝垂れ桜や藤(フジ)、皐月(サツキ)、蓮(ハス)、金木犀(キンモクセイ)、楓(カエデ)など四季折々の草花が咲くほか、江戸時代の水琴窟があることでも知られています。
この他にも桜の名所としても有名で、とりわけ入口の門をくぐってすぐの紅枝垂桜が美しいほか、秋は瓢箪形の池の周辺を中心に紅葉が美しいことでも知られています。
ちなみに「退蔵院」の寺名に使われている「退」という文字はマイナスなイメージを感じさせる「後退」を意味しているのではなく、中国語で「陰徳を積む」という意味があるそうです。
つまり、隠れて良い行いをして、陰徳を人知れず「蔵」のように数多く積み重ねよという意味があり、「退蔵院」という名前にはそれを目指して修行をする場所という意味が込められています。