京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町、臨済宗天龍寺派大本山・天龍寺の境内にある天龍寺の塔頭寺院。
「天龍寺七福神」の1柱である「福禄寿(福禄寿天)」が祀られていることで知られています。
南北朝時代の1353年(文和2年/正平8年)に公卿・四辻善成(よつつじよしなり 1326-1402)が、臨済宗の僧・晦谷祖曇(まいこくそどん)を開山として創建したのがはじまり。
四辻善成は後鳥羽天皇の第3皇子で「承久の乱」で敗れて佐渡に流されたことで知られる第84代・順徳天皇(じゅんとくてんのう 1197-1242)の曾孫にあたり、源姓(順徳源氏)を賜与され臣籍降下した後、内大臣から左大臣などを歴任、また文化人としても優れ「風雅和歌集」以下の勅撰集に15首入集を果たすなど歌人として著名なほか、幼少から「源氏物語」を学び、その総合注釈書である「河海抄(かかいしょう)」20巻を著した和学者としても知られている人物です。
その後、江戸後期の亨和年間(1801-04)には寺院の建物を売却し借財に充てるなど荒廃していたようで、幕末の1864年(元治元年)の「禁門の変」で焼失した後、1877年(明治10年)(明治初期とも)に当時廃寺となっていた南芳院跡にて真乗院を合寺して再建、更に再建された南芳院とも合寺し名称を「松厳寺」に改め現在に至っています。
天龍寺の総門を入って参道をしばらく進んだ右側、天龍寺鎮守の八幡社の手前にあり、境内は寺名のとおり松をはじめとする深い緑に包まれ、手入れの行き届いた庭は、初夏は新緑、秋は紅葉が美しいことでも有名で、中でも素朴な風合いの土壁とのコントラストは絶妙です。
また山門をくぐって左手には「天龍寺七福神」の一つで、四辻善成の念持仏であったと伝わる一刀彫の福禄寿天を祀る「福禄寿天堂」があり、2月3日の節分・七福神めぐりの日には多くの参拝客が訪れて賑わいます。
更に境内の墓地には禁門の変の前夜に長州藩が陣を敷いた天龍寺を訪れていたという坂本龍馬の立像が建ち、その横には1867年(慶応3年)6月9日に土佐藩の後藤象二郎とともに藩船「夕顔」に搭乗した際に龍馬が示したとされる政治構想で、明治新政府の「五ヶ条の御誓文」の基礎となったといわれる「船中八策」の記念碑が建てられていることでも知られています。