京都市東山区五条大橋東詰、鴨川に架かる五条大橋の東詰、川端通と五条通の交差する交差点の地下にある京阪電気鉄道(京阪)の京阪本線の駅。
1910年(明治43年)4月15日に京阪線の終着駅である「五條駅」として開業したのがはじまり。
その後1915年(大正4年)10月には京阪本線は三条駅まで延伸したため途中駅となりますが、七条~三条間で唯一特急・急行が通過する時代が長く続きます。
その一方で、四条駅や七条駅と異なり京都市電とは交差しないものの、五条通は太平洋戦争末期に防火帯とするために強制疎開が行われて南側が更地となり、1955年頃からはそこに五条通の拡幅と現在の五条大橋への架け替えなどが行われ、更には1967年(昭和42年)には東山五条から山科を経由して三条通へと接続する五条バイパスが通されると、国道1号線が三条通から五条通に変更されて幹線道路の役割を担うようになるなど、道幅が広く車通りの多い通りへと様変わりし、それに伴って駅舎も五条通の南側から北側へと移されました。
加えて1935年(昭和10年)に発生した「鴨川水害」を受けた戦前から計画されていた鴨川の洪水対策および自動車社会の到来に伴う東大路通と河原町通の混雑緩和のための川端通の新設などの都市計画を受けて地下化工事が進められることとなり、1988年(昭和63年)5月10日に竣工し地下駅となるとともに、地上線の跡には川端通が開通し現在に至っています。
ちなみに五條駅は1943年(昭和18年)10月に戦時中の企業統合政策によって、京阪電気鉄道が阪神急行電鉄(現在の阪急)と合併するといったんは阪急の駅となりますが、戦後の1949年(昭和24年)12月に京阪神急行電鉄から京阪電気鉄道が再び分離独立すると、再び京阪の駅となっています。
そして駅名については1963年(昭和38年)4月15日に駅名表記が旧字体の「五條駅」から新字体の「五条駅」に変更された後、2008年(平成20年)10月19日には「五条駅」から「清水五条駅」へと変更されています。
これは京都を訪れる観光客がよりスムーズに目的地へ向かえるようにとの理由から、また同名の駅が京都市営地下鉄の路線に存在していることに鑑み誤乗防止を図る意味合いもあり、丸太町駅の神宮丸太町駅への変更と、四条駅の祇園四条駅への変更と併せて行われたもので、五条駅については京都観光における訪問客第1位である清水寺の最寄駅であることから新たに「清水」の名が冠せられています。
現在は島式1面2線のホームを持つ地下駅で、駅名の通り世界遺産で京都でも人気の高い清水寺や、清水焼の発祥地に近く「清水焼発祥の地」の石碑があり陶器神社の別名で信仰を集める若宮八幡宮社へのアクセスなどに便利な駅です。
また六波羅蜜寺や六道珍皇寺といった毎年8月のお盆の時期にお精霊さんを迎えに行く「六道まいり」が行われる寺院にも近く、これらの参拝に合わせて五条坂に店を構える陶器屋や窯元が参拝客などに陶器を販売する「陶器まつり」が1920年頃から開催されるようになり、駅周辺の五条大橋東詰から東大路通にかけての区間には屋台も数多く立ち並び、京都の夏の風物詩として知られています。