京都市東山区五条橋東5丁目、京阪電鉄の「清水五条駅」から五条通を東へ歩いて約7分、清水焼発祥の地・五条坂の途中に鎮座する神社。
平安後期の1053年(天喜元年)、第70代・後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう 1023-68)の勅願により、八幡太郎の名で有名な源義家(みなもとのよしいえ 1039-1106)の父にあたる源頼義(みなもとのよりよし 988-1075)が六条醒ヶ井(さめがい)の邸内に、八幡の若宮として石清水八幡を勧請したのがはじまり。
このことから当初は「六條八幡(ろくじょう)」「左女牛八幡(さめがい)」とも呼ばれ、鎌倉時代には源氏一族や有力御家人など多くの武士からの信仰厚く、また室町時代には足利歴代将軍の崇敬を集め隆盛を極めたといいます。
しかし「応仁の乱」により社殿は荒廃すると、その後は社地を転々とし、1605年(慶長10年)にこの地に移され現在に至っています。
現在の社殿は1654年(承応3年)に再建されたもので、本殿玉垣内にある御影石の八角手水鉢は「至徳3年(1386年)5月9日 足利義満寄進」となっており、その歴史を物語っています。
本殿には仲哀天皇(ちゅうあい)、応神天皇(おうじん)及び神功皇后(じんぐう)、相殿(あいどの)には仲恭天皇(ちゅうきょう)が祀られているほか、1949年(昭和24年)には陶祖神・椎根津彦命(しいねつひこのみこと)が合祀され、それ以降は「陶器神社」とも呼ばれて陶器関連業者や京都市民の間で親しまれています。
この点、毎年8月7から10日までの「五条坂陶器まつり」においては椎根津彦命の祭礼「若宮祭」が行われ、陶器でできた陶器神輿の巡行が行われるほか、その協賛行事として陶磁器業者が中心となり盛大な「陶器市」が開かれ、夏の京都の風物詩の一つとなっています。
五条大橋東詰めから東大路通の五条坂までの五条通沿いに陶器の露店約500軒が建ち並び特売が行われるほか、屋台も出るなどし、また同じ時期にすぐ近くにある六波羅蜜寺や六道珍皇寺などで先祖の霊を迎える「六道まいり」「迎え鐘」の行事が行われることもあり、一帯は多くの参拝客・観光客で賑わいます。