京都市左京区鹿ヶ谷(ししがたに)、東山三十六峰の一つである第14峰の善気山(ぜんきざん)の麓、法然院の南側、哲学の道から東に約200m、一本山側に入ったところに非公開寺院の立ち並ぶ通称「隠れ道」という小道があり、その道沿いにある浄土宗系単立の寺院。
山号は住蓮山(じゅうれんざん)、本尊は阿弥陀三尊像。
鎌倉初期、浄土宗の開祖・法然の弟子であった住蓮房(じゅうれんぼう)と安楽房(あんらくぼう)の2人の僧が、現在地より約1kmほど東のあたりに「鹿ケ谷草庵」という小さな庵を結んで念仏の布教活動の拠点としたのがはじまり。
2人の努力の甲斐もあり、草庵には信者が通ってくるようになりますが、その中には第82代・後鳥羽上皇の女官として仕え、大変可愛がられていた19歳の松虫姫と17歳の鈴虫姫もいました。
1206年(建永元年)12月、住蓮と安楽の説法に感銘を受けた2人は、後鳥羽上皇が紀州熊野に参拝の留守中に密かに出家し尼僧となりますが、そのことを知った後鳥羽上皇はこれに激怒。
翌1207年(建永2年)2月に住蓮および安楽を死罪にするとともに、法然は讃岐へ、親鸞は越後へと流刑となりました。
いわゆる「建永の法難」という事件で、この際には2人の姫も瀬戸内海に浮かぶ小島・生口島の光明防(現在の広島県)に移り住んで念仏三昧の余生を送り、松虫姫は35歳、鈴虫姫は45歳で往生を遂げたと伝えられています。
その後鹿ケ谷草庵は荒廃しますが、流罪地から無事に京都に戻った法然が、2人の菩提を弔うために草庵を復興するよう命じ「住蓮山安楽寺」と命名。室町後期の天文年間(1532-55)に現在地に本堂が再建されて今日に至っています。
ちなみに山号の住蓮山は住蓮坊の、寺号の安楽寺は安楽房の名に因んだものであり、また通称の「松虫鈴虫寺(まつむしすずむしでら)」は後鳥羽上皇に仕えた姉妹女御の名に因んだものです。
本堂には本尊阿弥陀三像を安置し、その傍に住蓮・安楽両上人、松虫・鈴虫両姫の座像、法然上人張子の像などが祀られています。
また境内には住蓮・安楽両上人の墓、および松虫・鈴虫両姫のそれぞれの供養塔もあるほか、安楽房や住蓮房、後鳥羽上皇の女官であった松虫・鈴虫に関連した寺宝も伝えられています。
通常非公開の寺院ですが、桜、躑躅、皐月などの春の花の時期と秋の紅葉の時期に合わせた期間と、「かぼちゃ供養」の日などに一般公開され、本堂や書院を拝観できるほか、書院から情趣豊かな庭園の景色を楽しむこともできます。
とりわけ7月25日の「鹿ヶ谷かぼちゃ供養」は土用の丑の季節に開催される京都の夏の風物詩として有名で、煮炊きしたかぼちゃが参拝者に振る舞われるほか、寺宝も公開されます。
境内にはこの他にくさの地蔵と呼ばれる皮膚病快癒にご利益のある地蔵尊があり、毎月2日は「くさの地蔵縁日」となっています。
2015年(平成27年)に地蔵堂が再建されて開眼供養が行われたことをきっかけに、150年ぶりに再開されたもので、とりわけ肌荒れに悩まされている方は、参拝がてら縁日を訪れるのもおすすめです。
また毎月25日には「京野菜朝市」も開催され、安楽寺山門前にてその時期採れた旬の京野菜が並び、多くの人で賑わいます。