京都市左京区鹿ヶ谷(ししがたに)御所ノ段(ごしょのだん)町にある浄土宗系の寺院。
元々は捨世(しゃせ)派という浄土宗の独立した本山の一つでしたが、1953年(昭和28年)に浄土宗より独立し、宗派の組織に属さない単立の宗教法人となっています。
寺名からも分かるように法然上人ゆかりの寺院であり、「法然上人二十五霊場」の第19番札所にも選定されています。
山号は善気山で、正式名は「善気山 法然院 万無寺(萬無教寺)(ぜんきざんまんむきょうじ)」ですが、現在は「本山獅子谷(ししがたに)法然院」の通称から「法然院」の名で知られています。本尊は阿弥陀如来。
鎌倉初期に浄土宗の宗祖・法然が鹿ヶ谷の地に草庵を結び、弟子の住蓮(じゅうれん)・安楽(あんらく)とともに念仏三昧の別行「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」の行を修し、六時礼讃(らいさん)を唱えたのがはじまり。
もっともこのことがきっかけとなり1206年(建永元年)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸中に、後鳥羽院の女房・松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家するという事件が発生。
上皇の怒りを買い、法然が四国の讃岐国へと流罪となる一方、安楽・住蓮の弟子2人は死罪となり、以後草庵は荒廃の一途を辿ることとなりました。
その後江戸時代に入った1680年(延宝8年)に知恩院第38世・万無(心阿万無)が、第4代将軍・徳川家綱(いえつな)に法然ゆかりの地に念仏道場を建てることを願い出て、弟子の第2世・忍澂(にんちょう)とともに再興。
翌1681年5月に現在地に堂が建立され、現在の伽藍の基礎が築かれるとともに、以降は専修念仏の修行道場として浄土宗寺院の中でも特色ある寺院として知られています。
一番の見どころは数奇屋造で建てられた茅葺きの屋根が特徴的な山門で、鄙びた趣きを持つ門から垣間見える竹林などの景色は実に風情があり印象的です。
本堂内に恵心僧都作の本尊「阿弥陀如来坐像」のほか、観音・勢至両菩薩像、自作の法然上人立像などを安置。
また方丈は後西(ごさい)天皇の皇女・誠子内親王の御座所(姫御殿)の遺構で、桃山御陵の遺物であり、堂内にある狩野光信の筆による「桐に竹図」「若松図」などの襖絵(ふすまえ)は重要文化財に指定されています。
そして「方丈庭園」は彼岸・此岸をイメージして作られたという浄土庭園で、第2世・忍澂が錫状により探り当てたという名水「善気水」が絶えることなく湧き出ています。
この他にもその閑寂な雰囲気は多くの文人や学者にも愛され、境内の墓地には谷崎潤一郎、河上肇(はじめ)をはじめ内藤湖南、九鬼周造、福田平八郎、稲垣足穂などの著名な学者や文人の墓が数多く存在していることでも知られています。
拝観については伽藍内部は通常非公開ですが、年に2回、毎年春と秋に特別公開。
期間は4月1日~7日、11月1日~7日
春は午前9時半から4時までで拝観料は500円で、秋は午前9時から午後4時までで拝観料800円となっています。
銀閣寺と南禅寺を結ぶ有名な哲学の道の近くということもあり、春秋の観光シーズンには多くの参拝者が訪れますが、とりわけ紅葉シーズンは茅葺き屋根の山門をや参道沿いを中心に美しい紅葉が楽しめることでも有名です。
また山門をくぐった先の参道の両脇に盛られた「白砂壇(びゃくさだん)」の砂上には、紅葉の絵が描かれ、時期によっては見上げると紅葉、奥に進めば池に浮かぶ散り紅葉を楽しむこともできます。
他にも椿や山茶花が美しいことでも有名で、春の公開時は椿、冬には山門付近で山茶花の花を楽しむことができます。