京都府京都市東山区清閑寺霊山町、東山三十六峰の一つ「霊山(りょうぜん)」の麓、東大路通の安井金毘羅宮向かいの京都霊山護国神社の石鳥居から神社へ向かう長い坂道を上った先にある幕末・維新期の歴史研究や史資料の展示を行う歴史博物館で、国の登録博物館。
多くの人々や機関・企業などの支援を受け、財団法人霊山顕彰会の手で管理運営されています。
元々霊山の地には1868年(明治元年)、明治天皇の御沙汰書に基づく新政府による5月10日付け太政官布告によって、霊山の地に明治維新に力を尽くし近代日本の礎となった維新の先駆者1,400柱の霊を祀る我が国最初の招魂社、現在の「京都霊山護国神社」が創設され、一帯には坂本龍馬・中岡慎太郎らをはじめとする維新の志士たちの墓碑300余があるほか、他にも多くの殉難者が合祀されていました。
しかし第二次世界大戦後は憲法改正によって国費による祭祀や保存・維持が不可能になり、次第に心をかける人もなくなり荒廃するがままの状態となっていましたが、これに心を痛めた松下電器、現在のパナソニック株式会社の創業者である松下幸之助が関西財界人らに呼びかけ、1968年(昭和43年)、明治100年を記念して地元有志の人々とも協力して「霊山顕彰会」を設立。
荒廃していた墓碑の改修などを行うとともに、新たに約1,800柱を合祀し「霊山祭神」として祀り、また参道を「維新の道」と名付けるなど、霊山の霊域一帯が幕末の史跡エリアとして再整備されることとなりました。
そして歴史館はこれに合わせて1970年(昭和45年)、神社の一角にあった参集殿跡地、現在の神社入口の向かいに日本で唯一の幕末・明治維新専門の博物館として建設。
近代日本への一大転換期となった幕末維新の時期の在り様や、志士たちの熱意から多くを学び、これを後世に伝えるため、これに関する資料を収集・保存・公開することを目的に設立され、初代館長は松下幸之助が就任しています。
資料はペリー来航を皮切りに幕末に活躍した坂本龍馬や中岡慎太郎、西郷隆盛、木戸孝允(桂小五郎)、高杉晋作などの新政府側(倒幕派)のみならず、近藤勇・土方歳三ら新撰組や15代将軍・徳川慶喜、京都守護職・松平容保、京都見廻組など幕府側(佐幕派)のものも所蔵されており、幕末期には政治の中心地であり倒幕・佐幕両派がともに活躍した京都の地で、幕末維新史を双方の視点から幕末から明治にかけての歴史、日本のために命をかけた人々の精神や人物像を知ることができるようになっています。
そして所蔵されている品々は、この時代に活躍した志士のみならず、大名や天皇・公家のほか文人画家などの遺墨や遺品、書状、各種史資料・文献のほか、貨幣や工芸品、絵画、地図、錦絵、書籍、武具まで実に幅広く収集されています。
その中でも注目は
新選組が実際に使用していた「誠」の袖章や大幟(のぼり)
近藤勇が池田屋突入の時に着用した可能性があるという「鎖帷子」
池田屋事件の後に会津藩から新選組へ贈られた感謝状
坂本龍馬の直筆の手紙、黒船来航時の様子を描いた絵地図
京都見廻組・桂早之助が1867年(慶応3年)11月15日に近江屋で坂本龍馬を暗殺した際に使用したといわれる「龍馬を斬った刀」
京都見廻組与頭・佐々木只三郎が着用していたと思われる「血染めの鎖帷子」
また春・秋には多彩な企画による特別展も開催され、5,000点の所蔵品の中から約100点を選び、随時入れ替えながら展示しているほか、定期的に歴史講座なども開催されています。
施設は地上2階・地下1階の鉄筋コンクリート製で、瓦屋根を施した重厚な建物で、内部の展示方法は誰でも分かりやすく歴史を学ぶことができるよう映像や模型なども使うなどの工夫がなされていて、1階には坂本龍馬暗殺に使用したとされる刀や土方歳三・近藤勇が愛用した刀のコーナー、また2階には絵で見る関連・解説コーナーや、電子紙芝居、龍馬暗殺の現場である近江屋のほか池田屋事件・寺田屋事件を再現した模型コーナーなどもあります。
その他にもだんだら羽織を着て土方歳三のパネルと記念撮影ができる「無料撮影コーナー」や体験・クイズコーナーもあり小さな子供でも楽しめるほか、ミュージアムショップも併設されており、歴史館ならではの偉人にまつわるグッズなどを手に入れることができます。
また前述のように歴史館のすぐ隣りには維新の志士たちの英霊を祀った「京都霊山護国神社」があり、周辺は幕末・維新のまつわる歴史の一大スポットとなっています。