京都府京都市東山区、東山安井の交差点から高台寺南通を上がった高台寺の東隣の京都市街地の見下ろせる高台にある神社で、明治維新の実現のために犠牲となった幕末の志士や大東亜戦争の戦没者などの霊を祀る、国のためにその命を捧げた人たちを祀るいわゆる「招魂社」の一つです。
江戸後期、幕末の1853(嘉永6年)に浦賀沖に黒船が現れた「ペリー来航」以来、憂国の志士たちは自らの身を投げ打って日本国のために奔走。志半ばにして命を落とすものも多く、その中には無名な者も多数いたといいます。
そんな中、1862年(文久2年)に津和野藩士らの有志者により京都霊山の神道葬祭場「霊明社」において神葬祭が行われ、これら殉難・戦没した志士の霊が祀られたのがはじまり。
その後、1868年(明治元年・慶応4年)5月10日に明治天皇より霊山に一社を設けるようにとの詔が発せられると、詔に感激した公家や諸藩らがそれぞれの祀宇を建立。
「招魂社」としては全国で初めての創建であり、有名な東京の靖国神社より古い歴史を有しています。
名前は当初は「霊山官祭招魂社」として創建されたましたが、1936年(昭和11年)の「支那事変(日中戦争)」をきっかけに国難に殉じた京都府出身者の英霊を手厚く祀ろうという運動が起き、境内を拡大して新たに社殿を造営されるとともに、1939年(昭和14年)に「京都霊山護国神社」と改称されて現在に至っています(戦後のGHQ占領下の一時期「京都神社」と改称していた時期があったという)。
幕末の動乱期に活躍し、明治維新を目前にして命を落とした千人を超える有名無名の維新の志士たちが祀られているほか、社殿の隣りの山の斜面には「霊山墓地」があり、薩摩藩・長州藩・土佐藩系の尊王攘夷派の多くの志士たちの墓や慰霊碑がずらりと並んでいます。
そしてその中には坂本龍馬や高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)といった有名な維新の志士たちの名前もあり、修学旅行生や歴史ファンなども多く参拝に訪れているといいます。
中でも幕末の英雄の中でも最も知名度があり、「近江屋事件」で京都にて暗殺された坂本龍馬が、ともに暗殺された同じ土佐藩の盟友・中岡慎太郎とともに眠っていることで知られています。
この地にある墓は遺骨の埋葬されていない招魂碑が大半ですが、龍馬と中岡の二人の遺骨はこの霊山墓地の山の中腹に埋葬されており、墓のすぐそばには龍馬と中岡と二人の銅像が、まるで京都の街を見守っているかのようにして建てられているのが印象的です。
ちなみに龍馬の誕生日であり命日でもある毎年11月15日には、龍馬の遺徳を偲び霊を慰める「龍馬祭」が開催され、龍馬をはじめとする幕末の志士たちに思いを馳せんと、全国から多くのファンが集まることで知られています。
龍馬が暗殺の直前に食べたいと言ったという軍鶏鍋が振舞われるほか、奉納演舞「龍馬よさこい」も披露されます。
(誕生日・命日は本来は旧暦11月15日だが、祭は新暦11月15日に行われる)
その他にも龍馬と中岡の墓からさらに上に登った所に桂小五郎(木戸孝允)と妻・松子(幾松)の墓があるほか、従軍記念公園「昭和の杜」もあり、維新の志士たちだけでなく、第二次世界大戦時に亡くなった兵士たちの霊も祀られています。
また高台寺の方から東山山麓に向かって続く「維新の道」と命名された坂道を挟んだ向かいには、1970年(昭和45年)に開館した全国で初めての幕末・明治維新期の歴史を総合的に研究する専門博物館「霊山歴史館」があり、坂本龍馬を斬った刀や龍馬が高杉晋作からもらった短銃などのほか、幕末・明治維新関連の資料文献が数多く展示・公開されています。