京都府綾部市上野藤山、JR綾部駅の南、藤山公園の東麓に鎮座する神社。
平安末期の治承年間(1177-81)、平清盛の嫡男・平重盛が丹波の国守をしていたとき、南山城の石清水八幡宮のより祭神・仁徳天皇の分霊を勧請しこの地に迎えたのがはじまり。
その後、江戸初期の1633年(寛永10年)3月、第3代将軍・徳川家光の時代に九鬼隆季(くきたかすえ)が志摩国鳥羽(現在の三重県)から転封され新たに綾部藩の藩主となると、屋敷内に祀られていた若宮神社を厚く尊崇するとともに綾部藩の総氏神と定められ、江戸時代を通じて社領が安堵されるとともに、社殿の修繕などが藩費で賄われるなど手厚く保護されました。
元々は現在よりやや北側の田町の付近に祀られていましたが、1651年(慶安4年)に隆季が屋形(陣屋)を上野本宮山の西麓に移すに際して屋形の正面である藤山の中腹に移され現在に至っています。
境内にある「厄除神社」は猿田彦神を祭神として祀り、「厄除の神」「綾部の厄神さん」として丹波地方全域から広く信仰を集めていて、毎年2月の例祭「綾部厄除大祭」には多くの参拝者が訪れます。
若宮神社の本殿に続く階段の正面に「厄除の門」、裏面に「開運の門」と書かれた門が設置され、「厄除けの門」をくぐり、厄除・開運・家内安全や無病息災を祈願した後、「開運の門」をくぐって参拝を行い、また境内に至る石段の両側では屋台が多数出店し多くの参拝者で賑わいます。
その他にも毎年6月に行われる「夏越の祓」における「茅の輪くぐり」が有名なほか、10月15日直近の日曜に「お旅所」となる市役所の本庁舎前広場にて開催され、綾部地区8社による合同の神事や神輿4基の練り込みなどが行われる「秋まつり」などが知られています。