京都府綾部市宮代町明知、JR綾部駅より西へ約500mの所に鎮座する神社で、正式には「八幡宮」とのことですが、「綾部八幡宮」の通称で知られています。
戦国時代の天正年間(1573-90)に火災に遭い宝物や記録が消失したため、由緒はあまり明らかでありませんが、 平安末期の治承年間(1177-81)、平清盛の嫡男で小松内府三位中将・平重盛(たいらのしげもり 1138-79)が丹波の国守であった時、山城国・石清水八幡宮の別宮としてこの地に勧請したと伝えられていて、綾部藩の記録にも「ここは平重盛の領地なり、治承年中に重盛卿の勧請か」とされているといいます。
江戸時代に入った寛永年間(1632-43)以降は、綾部藩の初代藩主・九鬼隆季(くきたかすえ 1608-78)はじめ歴代領主の崇敬厚く、社領や財宝の寄進を受けたと伝えられ、現在も「綾部郷総社」として崇敬を集めています。
古くから神威盛んな神社として家内安全、開運除災、武運長久などに神徳があり、その他にも境内には夫婦岩・兄弟岩とされる聖岩があり、拝むと一家の平和と繁栄が授けられといいます。
行事としては「綾部郷総社」と称し綾部郷の9社を拝殿に奉祀している関係から、現在の綾部旧町内の「秋季大祭」は当社が中心となって斎行されており、「綾部旧町区八社合同秋季大祭」として八幡宮を含む綾部地区8社による合同の神事や神輿4基の練り込みなどが町内を挙げて賑やかに執り行われます。
一方「春季大祭」の方は200年前の米作りを再現しその所作を演じることで五穀豊穣を祈願する「お田植式」と呼ばれる神事が行われ、戦時中より一時中断していたものの、1796年(寛政8年)に書かれた古文書をもとに1994年(平成6年)に復活以来、綾部の民俗行事を後世に伝える貴重な文化遺産として毎年開催されています。