三段池公園西、萩の寺として親しまれる福知山花の十景
臨済宗南禅寺派。三段池公園西の鬼ヶ岳中腹に位置。1339年孤峰覚明が開創。
観音堂の天井は福知山城舞殿の格天井を移したといわれ花ととりの絵図には百花百鳥が色鮮やかに描かれる。
別名萩の寺の愛称で親しまれ初秋には3種約150株、白萩と赤萩のしだれ萩が咲き乱れ境内を埋め尽くす。福知山花の十景
養泉寺(丹波の萩寺)のみどころ (Point in Check)
京都府福知山市中、三段池公園の西、鬼ヶ城の中腹に位置する臨済宗南禅寺派の禅宗寺院。
南北朝時代の1339年(暦応2年)、醍醐寺と同じ孤峰覚明(こほうかくみょう 1271-1361)(三光国師)が開創した四筵開場の最初の道場と伝えられています。
孤峰覚明は臨済宗の僧で、会津に生まれて17歳で出家し叡山で受戒して天台を学び、紀伊国由良や出羽、鎌倉、そして元に渡って禅を学び、出雲・雲樹寺や和泉・大雄寺を開き、篤く信仰したという第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう 1288-1339)や第97代・後村上天皇(ごむらかみてんのう 1328-68)などに戒を授けた人物です。
「天田郡誌」によれば、後醍醐天皇が隠岐島から船上山に逃れた際に出雲の雲樹寺より覚明を招いて禅学を講じ、京都に戻った後も詔勅にて禁裏に侍講し、南禅寺の住持としようとしたものの、名刹を好まなかったため、病気と偽って帰り養泉寺を開創したといい、現在の「本堂」は山門や鐘堂とともに1904年(明治37年)に再建されたものです。
また境内の高台にある「観音堂」は当時中村の山中に大仙寺という七堂伽藍を有する真言宗の寺院がありましたが、室町時代に廃寺となりこの観音堂のみが残ったものを、1691年(元禄4年)に領主の下地により当寺に移築したもので、その後1847年(嘉永元年)に修築され現在に至っています。
そして観音堂の堂内の天井画「花ととりの絵図」は福知山城の舞殿に使用されていたと伝わる格天井を移したものといわれ、81枚の板には百花百鳥が色鮮やかに描かれており、事前に予約をすれば拝観することができます。
この他にも境内では四季を通じて花を楽しむ事ができますが、とりわけ別名「丹波の萩寺」と呼ばれ、福知山観光協会の選定する「福知山花の十景」にも選ばれているように萩の名所として有名です。
終戦直後に本堂前に白萩(シラハギ)を植えたのがはじまりといい、その後株分けして数を増やして境内や駐車場などに萩が植えられ、現在は白萩の他に宮城野萩(ミヤギノハギ)と錦萩(ニシキハギ)を加えた3種約150株となり、毎年初秋の9月上旬から中旬にかけて白色や赤色のしだれ萩が咲き乱れて境内を埋め尽くします。