京都府相楽郡笠置町笠置、京都府南部の京都と奈良の県境にあり、花崗岩の巨岩が数多く点在し、古くから山岳信仰・巨石信仰の対象とされてきた笠置山の山上にある山岳寺院。
当初は法相宗に属していましたが、現在は真言宗智山派の寺院で、山号は鹿鷺山(しかさぎざん/ろくろうざん)、本尊は弥勒磨崖仏。
寺の起源については古く、笠置山の中心をなす大岩石の前から弥生時代の有樋式石剣が発見されていることからも、2000年前から笠置山の巨石が信仰の対象とされていたと考えられています。
また「笠置寺縁起」によれば、第38代・天智天皇の時代、天皇の弟で「壬申の乱」で勝利した側の大海人皇子(後の第40代・天武天皇(てんむてんのう ?-686))がある日この付近に狩猟に訪れた際、獲物を追うことに夢中になり過ぎて山頂の巨岩の上まで駆け上がってしまい、岸壁から転落する危機に直面。
進退きわまった皇子は弥勒に祈念して難を逃れますが、感謝の意を示すために巨岩に弥勒像を彫り上げ、伽藍を建立したのが寺のはじまりといわれています。
またいったんは都に戻ることとなった皇子が、山を去る際に目印にと岩の上に笠を置いて帰ったことからその岩を「笠置石(かさぎいし)」、そして後日再び山を訪れて笠を探していた際、上空に舞う一羽の白鷺に導かれて笠の置かれた岩に到着することができたことから山を「鹿鷺山(かさぎやま)」と称するようになり、現在の「笠置山」の地名の由来になったといわれています。
また開創については「今昔物語集」「東大寺要録」などは天智天皇の皇子によると伝えていて、天智天皇の第1皇子で「壬申の乱」で敗北して自害した大友皇子(おおとものおうじ 648-72)(第39代・弘文天皇)ともいわれていますが、確かなことは分かっていないといいます。
実際に建物が建てられ人が住み着いたと考えられるのは約1300年ほど前の奈良時代の頃で、東大寺の実忠(じっちゅう)やその師である良弁(ろうべん)によって笠置山の大岩石の表面に直接彫刻が施された仏像、いわゆる磨崖仏(まがいぶつ)を中心として寺の形容が整えられ、笠置山全体を一大修験行場として栄えたとみられていて、現在も山上には「弥勒石(みろく)」「文殊石(もんじゅ)」「薬師石(やくし)」「虚空蔵石(こくうぞう)」などの巨大な磨崖仏が残され、実際の調査でも弥勒磨崖仏は奈良時代の中頃から末頃には彫られていたことが分かっているといいます。
笠置寺は磐座信仰と仏教思想が一体となり、この笠置山の自然の岩壁に直接彫り込まれた磨崖仏の巨大な弥勒仏を本尊とする寺院で、とりわけ平安後期、1052年(永承7年)以後に訪れる末法思想の流行に伴う「弥勒信仰」の隆盛によりその聖地として栄え、鎌倉時代までは天皇や公家をはじめとして「笠置詣で」が盛んに行われて白河法皇も行幸したほか、清少納言の「枕草子」でも紹介されているといいます。
また鎌倉初期の1193年(建久4年)頃には信西(藤原通憲)の孫で、若くして興福寺の僧侶としての栄達の道を進むも、旧仏教の腐敗堕落に憤慨して南都を離れ、戒律を厳守する宗教改革を提唱して法相宗の中興と称された解脱上人貞慶(じょうけい 1155-1213)がこの地に隠遁し、諸堂を建立して再興の後は、その中心道場となり全盛を極めます。
その後、鎌倉末期の1331年(元弘元年)に起きた鎌倉幕府の倒幕計画「元弘の変」にて後醍醐天皇がこの寺に遷幸してその行在所(あんざいしょ)である「行宮(あんぐう)」とし、鎌倉幕府の大軍と戦いますが、1か月の攻防の後に全山が焼失。
その後室町時代に復興されるも、江戸中期には荒廃して明治初年には無住の寺となったといいますが、1876年(明治9年)に丈英が狐狸の住む荒れ寺に住して20年の歳月をかけて復興に尽くし、現在の姿になったといいます。
現在も笠置山の山頂付近には高さ約15mの日本最古ともいわれる弥勒石や虚空蔵石、文殊石、薬師石の大磨崖仏をはじめ、太鼓石や貝吹岩、ゆるぎ石などの巨岩・奇石が数多く点在するとともに、胎内くぐりなどの行場が数多く姿を残しており、奈良時代より山伏の修行場として栄えていた頃と変わらず信仰の対象となっていて、また境内には東大寺の二月堂で行われる「お水取り」の起源といわれる本堂「正月堂」などの伽藍のほか、かつて後醍醐天皇が行在所を置いた笠置山には当時を偲ぶ史跡も数多く残されています。
その一方で標高289mの山域はアラカシやクヌギ、アオキなどが自生するなどほぼ全山が広葉樹に覆われており、1932年(昭和7年)の国による「史跡・名勝」の指定を受け、笠置山と山麓を流れる木津川の峡谷を中心た一帯は1964年(昭和39年)に「京都府立笠置山自然公園」となり、また「京都の自然200選」にも選定されています。
これを受けて現在では気軽に「行場めぐり」に挑戦できるよう約800mの遊歩道として整備されていて、小学生から年輩の方まで幅広い年齢層に人気のハイキングコースにもなっています。
この他にも自然公園内の「もみじ公園」を中心に境内の各所にて美しい紅葉のグラデーションが楽しめるほか、毎年11月の1か月間はもみじのライトアップも行われる紅葉の名所としても有名で、また山麓の木津川の河原に数多く植えられた桜が京都では4か所しか入っていない「日本さくら名所100選」にも選ばれているなど桜の名所としても知られていて、笠置の町は春の桜や秋の紅葉シーズンにはとりわけ多くの行楽客で賑わいます。