江戸時代初期最高の文化人・本阿弥光悦ゆかりの寺
鷹峯にある日蓮宗寺院。江戸初期の文化人・本阿弥光悦が徳川家康より拝領したこの地に草庵を結び刀・蒔絵・絵画・陶芸の職人の集まる芸術村を作ったのが起源。
その没後寺院となり大虚庵や三巴亭など7つの茶室が残る。
緩やかな曲線が印象的な光悦垣や石畳の参道を中心に紅葉の名所としても有名
光悦寺のみどころ (Point in Check)
京都市北区鷹峯(たかがみね)光悦町、鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰のいわゆる「鷹峰三山」を臨む景勝地にあるにある日蓮宗の寺院で、本阿弥光悦一族の菩提寺。
「鷹峯」は京都の市街地の北西に連なる鷹ヶ峯、鷲ヶ峯、天ヶ峯の「鷹峰三山」の麓にある地区で、今でも古くからの農家が残り、野菜畑があちこちに見られるのどかな地域です。
光悦寺はその鷹峰三山の麓の京都の市街地を見下ろすことができ高台に位置しており、近くには悟りの窓と迷いの窓や血天井でよく知られた源光庵や、吉野太夫花供養で知られる常照寺とともに、秋に紅葉の名所として知られる鷹峯の名刹の一つです。
江戸初期を代表する文化人で芸術家の本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)がこの地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのがはじまり。
この土地は江戸幕府を開いた徳川家康より1615年(元和元年)に与えられたもので、光悦は一族や多くの芸術家・工芸家たちとともにこの地に移り住み、芸術村を築き上げました。
光悦は1558年(永禄元年)に京都生まれ、多くの才能に優れ刀剣鑑定のほか、書、陶芸、絵画、蒔絵など様々な分野で活躍したほか、指導者としても優れていたといいます。
そして晩年は「大虚庵」という草庵に閑居し、1637年(寛永14年)に80歳で没するまでで茶の湯や茶碗作りを楽しむ傍ら、庵のほとりに法華題目堂を建て日蓮宗の熱心な信仰にも勤めたといいます。
光悦の没後「大虚庵」は本阿弥一族の位牌所とされますが、1656年(明暦2年)に本法寺12世・日慈(にちじ)を招いて日蓮宗の寺院に改められ「光悦寺」となりました。
境内にはいずれも大正時代以降の再建ですが「大虚庵」のほか「三巴亭」「了寂軒」「徳友庵」「本阿弥庵」「騎牛庵」「自得庵」など7つの茶室があり、中でも光悦が晩年を過ごしたと伝わる「大虚庵(たいきょあん)」は1915年に再建されたものですが、独特の工法で竹を斜めに組んだ「光悦垣」と呼ばれる垣根があることで知られています。
光悦寺は同じ鷹峯にある源光庵や常照寺とともに紅葉の名所として有名ですが、秋の紅葉の時期には参道の紅葉のトンネルのほか、この垣根のそばで紅葉が枝垂れる珍しい光景を楽しむこともできます。
この他にも茶席「三巴亭(さんはてい)」の光悦堂には高村光雲作の光悦坐像が安置されているほか、寺には光悦とその子光瑳(こうさ)の墓、そのほか光悦の遺品も数多く伝えられています。
行事としては毎年11月11~13日に本阿弥光悦の遺徳を偲んで境内にて開かれる「光悦会茶会」が知られています。