「悟りの窓」と「迷いの窓」からの紅葉の眺めは見事
鷹峯にある曹洞宗寺院。1346年に臨済宗大徳寺2世徹翁義享が隠居所として創建、江戸期に卍山道白が再興した際改宗。
本堂から丸い「悟りの窓」と四角い「迷いの窓」を通して眺める紅葉の庭園は額縁絵さながらの美しさ。
本堂の血天井は関ヶ原の戦いの際の落城の悲劇を今に伝える伏見城の遺構
源光庵のみどころ (Point in Check)
京都市北区鷹峯(たかがみね)、平安京の中心・朱雀大路にあたる千本通の今宮通との交差点より北方、緩やかな上り坂の続く鷹峯街道(たかがみねかいどう)を進んだ先にある曹洞宗の寺院。
正式には「鷹峰山寶樹林源光庵(ようほうざん ほうじゅりん げんこうあん)」といい、山号は鷹峰山、本尊は釈迦如来。
南北朝時代の1346年(貞和2年)、朝廷から国の仏教行政を任さていれた大徳寺2世・徹翁義享(てっとうぎこう)の隠居所「復古堂」として開いたのがはじまり。
当初は臨済宗大徳寺派の寺院でしたが、その後衰微し、江戸初期の1694年(元禄7年)に加賀国大乗寺の27代目・卍山道白(まんざんどうはく、かいざんどうはく)により再興され、曹洞宗に改宗されました。
現在の本堂は道白による再興時の建築で、本尊・釈迦牟尼佛に加え、両脇に阿難(あなん)尊者、迦葉(かしょう)尊者が祀られています。
源光庵といえば何といっても丸い「悟りの窓」と四角い「迷いの窓」があることで有名です。
それぞれに仏意が込められており、丸い窓は、何事にもとらわれないおおらかな気持ちを「禅と円通」の心、他方四角い窓は生老病死など日々のさまざまな苦しみの「人間の生涯」を表しているといわれていて、窓の前に座って自分の姿を見て自問自答し、自我を見つめ直す人も多く見かけられます。
近くにある光悦寺や常照寺とともに秋は紅葉の名所としても有名で、本堂前の北山を借景にした庭園をはじめ、門前から境内まで紅葉を楽しむことができ、中でも四角い「迷いの窓」と丸い「悟りの窓」の窓越しに見る紅葉は趣があり絵画のような美しさで、毎年数多くの参拝客が訪れます。
また本堂の天井「血天井」は「関ヶ原の戦い」の前哨戦となった「伏見城の戦い」で徳川家康の重臣・鳥居元忠とその家臣らが自刃した際についたという血の手形や足跡が残されています。
その供養のために東山七条の養源院や大原・宝泉院などに移築された伏見城の遺構の一つで、落城の悲劇を今に伝える貴重な資料となっています。