京都市西京区山田北ノ町、松尾大社の南、世界遺産・苔寺や鈴虫寺の近くにある臨済宗系の単立寺院。
山号は衣笠家良(藤原家良)に由来する衣笠山で、本尊は地蔵菩薩(延命安産地蔵菩薩・谷の地蔵)。
境内が広く竹林で覆われていることから「竹の寺」の通称で知られています。
南北朝時代の1367年(貞治6年/正平22年)、元々は鎌倉時代に公卿で歌人としても知られた内大臣・衣笠家良(きぬがさ いえよし 1192-1264(藤原家良))が山荘を営んでいた地に、室町第3代将軍・足利義満の管領・細川頼之(ほそかわ よりゆき 1329-92)が夢窓疎石(むそうそせき 1275-1351)の高弟・宗鏡禅師(そうきょう 1291-1374)(碧潭周皎)(へきたんしゅうこう))に深く帰依して伽藍を建立したのがはじまり。
宗鏡は恩師である夢窓国師を開山に請じ(勧請開山)、自らは第2世となりました。
その後は北朝系の崇光・後光厳・後円融の3天皇の御願寺に準ぜられ、境内17万平方メートル、末寺26か寺、諸国に領地54か所を有する一大禅刹となりましたが、「応仁・文明の乱」(1467~77年)によって諸堂を焼失。
しかし皇室の深恩と細川家の援助等により、江戸中期の1686年(貞享3年)には第14世・古霊によって方丈が再建されるなど寺観が整えられ、更に明治時代には竜済寺・延慶寺を合併。
元々は臨済宗天龍寺派に属していましたが、1968年(昭和43年)に独立して単立寺院となり、現在に至っています。
現在の「本堂(地蔵堂)」は、1935年(昭和10年)に再建されたもので、堂内には中央に伝教大師最澄の作と伝わる本尊の延命安産地蔵菩薩のほか、夢窓国師、宗鏡禅師、細川頼之の各木像を安置。また本堂の南側には、寺の創建に関わった宗鏡禅師および細川頼之の墓が並ぶようにして建てられています。
更に本堂北側の「方丈」は江戸中期の1686年(貞享3年)に再建されたもので、京都市の「登録有形文化財」に指定されているほか、方丈前の庭園は宗鏡禅師の作、頼之の遺愛といわれる平庭式の枯山水庭園で、羅漢に見立てられた16個の自然石を配し十六羅漢の修行の姿を表わすその姿から別名「十六羅漢の庭(じゅうろくらかんのにわ)」と呼ばれ、京都市の「登録名勝」に指定されています。
この他にも一円が鮮やかな苔に覆われた境内全体が京都市の「文化財環境保全地区」に指定されていて、また竹林以外に楓も多く、春は新緑、秋は紅葉の名所として知られているほか、侘助椿や山茶花など四季折々の花が境内に彩りを添えます。
更に「一休さん」で知られる大徳寺の僧・一休宗純(いっきゅうそうじゅん 1394-1481)が6歳で出家するまでの幼少期を母と共に過ごしたと伝えられるゆかりの寺院で2017年(平成29年)に「一休禅師母子像」が建てられたほか、総理大臣を務めた細川護熙筆の襖絵である「瀟湘八景図」も見どころとなっています(冬季限定公開)。