京都市西京区桂巽町、京都市の西、西京区の玄関口である阪急桂駅の北西に鎮座する神社で、桂地区の産土神。
この点、桂学区は1928年(昭和3年)に阪急の桂駅ができると、1931年(昭和6年)には桂学区の元となる葛野郡の京都市への編入が行われ、以後は宅地化が進み、更に1965年(昭和40年)の国道9号の全線開通、1972年(昭和47年)の洛西ニュータウンの開発を経て急速に発展が進んだ地域で、人口の増加によって桂東、桂川、桂徳の各学区へと分かれていますが、現在西京区に存在している17学区の中でも桂学区は一番古い歴史を有する学区です。
当社の創建の詳しい経緯は不詳ですが、古くより山背国葛野郡朝原村(現・桂学区)の氏神として五穀豊穣、子孫繁栄、無事清明を加護し、村人の守護所として崇敬を集めていたと考えられています。
また社伝によれば、平安京遷都を行った第50代・桓武天皇の第2皇女・朝原内親王(後の平城天皇妃)はこの朝原で誕生し、伊勢斎宮在位15年の後18歳の時に戻られ、天皇はその労苦を慰労・感謝して朝原内親王第を賜ったといい、「日本後紀」の中に「朝原内親王第御幸」との記述があり、当社はその御幸の道筋にあることから、桓武天皇が御幸の際に当社に参拝・祈願に立ち寄ったことは十分推測できるとする史学者もいるとしています。
その後、1906年(明治39年)の「神社併合令」により1912年(明治45年)には全村人40余名の寄進によって社殿を建造し、村内3か所に鎮座の轟宮、三之宮、春日社を現在地にて合祀。
更に80有余年の風雪により老朽化が進んだことから、1997年(平成9年)10月5日に桂学区民有志一同の寄進を得て修復が行われ、現在に至っています。
本殿に祭神として天児屋根命(あめのこやねのみこと)、大山咋神(おおやまくいのみこと)、八幡大明神(やはただいみょうじん)の3柱を祀るほか、境内の片隅には「厄除開運神石」と呼ばれる石が祀られていて、また行事としては毎年10月第3日曜日に松尾大社の神職司祭によって祭礼が執り行われているほか、6月30日の半年間の罪穢れや災厄を祓い落とし、悪疫退散・厄除・開運招福を祈願する「夏越の祓」に合わせて茅の輪が設置され、茅の輪くぐりをすることができます。