金地院

金地院

家康のブレーンとして活躍した以心崇伝ゆかりの寺院

南禅寺塔頭。室町4代足利義持が北山鷹ヶ峯に創建し、江戸初期に「黒衣の宰相」と呼ばた徳川家康の政治顧問・以心崇伝が現在地に移転。 権現造で家康の遺髪等を納める東照宮や茶室八窓席が重文のほか小堀遠州作の枯山水庭園「鶴亀の庭」、狩野派の襖絵なども有名

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金地院とは?(基本データ)

名前
金地院(こんちいん)
エリア
岡崎・吉田・鹿ケ谷
ジャンル

寺社 国宝絵画 特別名勝 茶室

建立・設立
応永年間(1394~1428年)の1400年頃、北山鷹峯に創建
1605年(慶長10年)、現在地に移築
創始者
[開基] 室町幕府第4代将軍・足利義持((あしかがよしもち)
[開山] 南禅寺68世・大業徳基
[中興] 以心崇伝
宗派
臨済宗南禅寺派 南禅寺塔頭
山号
 
本尊
地蔵菩薩
ご利益
子孫繁栄
寺紋
 
アクセス
駐車場
南禅寺駐車場を利用
├バス15台 2時間3,000円(1時間毎1,500円増)
└乗用車25台 2時間1,000円(1時間毎500円増)
拝観料
一般 400円(団体350円)
高校生 300円(団体250円)
小・中学生 200円(団体150円)
6歳以下 無料
※団体割引は25名以上(但し修学旅行生は小グループでも団体扱い)
※特別拝観は別途料金
※茶室八窓席は要予約(別途700円)
お休み
無休
拝観時間
3~11月 8:30~17:00
12~2月 8:30~16:30
住所
〒606-8435
京都府京都市左京区南禅寺福地町86-12
電話
075-771-3511
FAX
075-752-3520
公式サイト
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金地院の地図

金地院のみどころ (Point in Check)

京都府京都市左京区南禅寺福地町にある禅宗寺院で、臨済宗南禅寺派大本山・南禅寺の塔頭寺院の一つ。

応永年間(1394-1428)の1400年頃に室町幕府第4代将軍・足利義持(あしかがよしもち 1386-1428)が南禅寺68世・大業徳基(だいごうとくき)を開山として北山鷹峯に創建したのがはじまり。

その後、江戸初期の1605年(慶長10年)に以心崇伝(いしんすうでん 1569-1633)が現在地に移築し、南禅寺塔頭として復興再建し、1627年(寛永4年)には大規模な改築に着手し、方丈や東照宮、枯山水庭園などを整備し、1630年(寛永7年)頃に完成し現在の寺観が整ったといわれています。

以心崇伝は臨済宗の僧で、幼児から南禅寺の玄圃霊三に預けられ、1605年(慶長10年)に靖叔徳林の法を嗣ぎ37歳の若さで南禅寺270世住持となり、徳川家康(とくがわいえやす)の信任を得て政治外交の顧問・相談役を務め、南光坊天海と共に家康・秀忠・家光の三代にわたって幕議に参画し江戸幕府の基礎作りに貢献しました。

また1619年(元和5年)には天下僧録司(そうろくし)に任ぜられて宗教界の人事を掌握するとともに宗教界全体の取り締まりにあたり、寺院法度や禁中並公家諸法度などを起草。これに反し後水尾店王がこれまでの慣例どおりに大徳寺・妙心寺などの僧に紫衣着用の勅許与えていたものを江戸幕府が無効とし朝幕間の対立を生むきっかけとなった「紫衣事件(しえじけん)」ではこれに抗議した沢庵(たくあん)らの厳罰を主張し流罪にさせ「黒衣の宰相(こくえ)」、また10万石の格式を持ち「寺大名」などとも呼ばれて畏怖尊敬される存在でした。

そして金地院のほか南禅寺の伽藍整備にも尽力し、1633年(寛永10年)に65歳で没し、その遺骨は開山堂に納められています。

境内の見どころとしては、まず「方丈(本堂)」は1611年(慶長16年)に伏見城の遺構を3代将軍・徳川家光より賜わり移築したもので、客室にある狩野派(狩野探幽・尚信)による襖絵は重要文化財に指定されています。

そして方丈の前庭は「鶴亀の庭」と呼ばれ、茶人であり庭園家でもあった小堀遠州の作で1632年(寛永9年)に完成し、江戸初期の代表的な枯山水庭園として国の特別名勝に指定されています。

前面は白砂で宝船と海洋を表し、左に亀島、右に鶴島を配し、中央の大きな平面石が東照宮の遥拝石、そして石の奥には蓬莱山に見立てた三尊石が置かれ、深山幽谷を表現しているといいます。

この点、遠州作とされる日本庭園は全国各地に沢山ありますが、本当に遠州作と断言できる庭は少なくその数少ないうちの一つといいます。
ただし作庭当初の遠州は江戸城の西の丸庭園や仙洞御所の普請で多忙を極めていたため、遠州の指示の下で弟子の村瀬佐介や、石組みの名人・賢庭(けんてい)を中心に作庭されたと、以心崇伝の日記「本光国師日記」には記されているといいます。

この他にも「茶室八窓席」はこちらも小堀遠州の作で「京都三名席」のひとつといわれ国の重要文化財に指定。
長谷川等伯の筆による襖絵で一匹の手長猿が片手で枝を掴み、もう片方の手で水面に映った月を取ろうとしている様子を描いた「猿猴捉月図(えんこうそくげつず)」や「老松図」があることで有名です。

また「東照宮」は1628(寛永5年)に家康報恩のために勧請し創建されたもので、京都唯一の権現造りの遺構でこちらも国の重要文化財に指定。
家康の遺言によって建てられた東照宮は久能山、日光、そして京都の金地院の3か所だけだといい、家康の遺髪と念持仏を祀り、拝殿天井の鳴龍は狩野探幽の筆、三十六歌仙の額は土佐光起の筆といいます。

金地院の施設案内

 

境内

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    大門(表門)

     

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    史跡及名勝 金地院庭園の石標

     

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    門番所

     

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    境内図

     

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    拝観受付

     

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    庫裏

     

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    通路

     

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    明智門(唐門)

    1582年(天正10年)に戦国武将・明智光秀が母の菩提を弔うため黄金1000枚を寄進し大徳寺に建立した門で明治初年に移築された

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    弁天池と石橋

     

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    鎮守堂

     

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    東照宮・開山堂への参道

     

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    楼門

     

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    手水舎

     

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    鳥居

     

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    石畳の参道

     

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    御透門

     

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    東照宮

    1628年(寛永5年)に家康報恩のために勧請し創建
    家康の遺言によって建てられた東照宮は久能山、日光、そして京都の金地院の3か所だけでそのうちの一つ
    拝殿・石の間・本殿で構成
    京都に現存する唯一の権現造り様式で重文指定
    家康の遺髪と念持仏を祀り、拝殿の天井に狩野探幽の筆による「鳴龍」、三十六歌仙の額は土佐光起の筆

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    クロガネモチ

    東照宮の裏(南側)
    モチノキ科

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    戊辰伏見鳥羽之役 東軍戦死人追悼碑

    東照宮築地塀の外の南側にある鳥羽伏見の戦いの幕府軍戦没者の慰霊碑

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    御成門

     

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    石段

    降りていくと開山堂と方丈前庭の前に出る

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    開山堂

    以心崇伝の廟所
    正面に後水尾天皇の勅額、左右に十六羅漢像が安置され、中央奥に崇伝木像が祀られている
    狩野探幽が描いた以心崇伝図

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    墓地

    画家・浅井忠の墓がある

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    鶴亀の庭(方丈前庭)

    小堀遠州が直接指揮して作庭した確実な証拠を持つ唯一の庭園で1632年(寛永9年)の完成
    江戸初期の代表的な枯山水庭園で国の特別名勝
    前面は白砂で宝船と海洋を表し、左に亀島、右に鶴島を配し中央の大きな平面石が東照宮の遥拝石
    遥拝石の奥には蓬莱山に見立てた三尊石が置かれ、深山幽谷を表現しているという
    祝儀庭ともいわれ永劫の繁栄を意味し、崇伝が三代将軍家光を招くためにつくらせたという

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    鶴島

     

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    亀島

     

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    方丈(本堂)

    1611年(慶長16年)に伏見城の遺構を3代将軍・徳川家光より賜わり移築したもの
    柿(こけな)ぶき入母屋造り、書院造りの代表建築
    各部屋の襖絵は狩野探幽、尚信の筆 扁額「布金道場」は山岡鉄舟の筆
    本尊の地蔵菩薩を祀る

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    茶室「八窓席(はっそうせき)」(書院)

    小堀遠州の設計で三帖台目(だいめ)の遠州流茶席として有名
    京都三名席のひとつといわれる
    小書院の襖絵は有名な長谷川等伯の「猿猴捉月図」

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    猿猴捉月図

    長谷川等伯筆
    一匹の手長猿が片手で枝を掴み、もう片方の手で水面に映る月を取ろうとしている様子を描き、実体のないものを追いかけていると溺れてしまうので、足元をしっかり見なさいという禅の教えが表現されているという

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    六角堂

     

周辺

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    下乗門

     

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    南禅寺観光トイレ

     

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    南禅寺

     

関連

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    金地院

    東京都港区芝公園にあるもう一つの金地院で、崇伝は両院を兼務した
    1619年(元和5年)に江戸城北の丸内に創建後、1639年(寛永16年)に現在地へと移転された

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    日光東照宮

    栃木県日光市
    江戸幕府の初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現を主祭神として祀る、日本全国の東照宮の総本社的存在

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    久能山東照宮

    静岡県静岡市駿河区根古屋
    晩年を駿府で過ごした徳川家康は1616年(元和2年)に死去した後、遺命によってこの地に埋葬されており、東照宮の元祖的存在

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