大蓮寺(安産祈願の寺)

大蓮寺(安産祈願の寺)

 

 

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大蓮寺(安産祈願の寺)とは?(基本データ)

名前
大蓮寺(安産祈願の寺)(だいれんじ(あんざんきがんのてら))
エリア
岡崎・吉田・鹿ケ谷
ジャンル

寺社 蝋梅 安産・子授け 洛陽三十三所観音

建立・設立
1600年(慶長5年) 関ヶ原の合戦の年
創始者
[開山] 専蓮社深誉
宗派
浄土宗
山号
引接山(いんじょうざん)
院号
極楽院(ごくらくいん)
本尊
阿弥陀如来
ご利益
安産祈願
寺紋
三つ横見菊(有栖川家家紋)
札所等
洛陽三十三所観音霊場 第8番
アクセス
  • 京阪本線・鴨東線「三条」駅下車 徒歩約10分
  • 京都市営地下鉄東西線「三条京阪」駅下車 徒歩約10分
  • 京都市営地下鉄東西線「東山」駅下車 徒歩約8分
  • 京都市営バス「東山二条・岡崎公園口」(31・32・201・202・203・206号系統)下車 徒歩約3分
  • 京都市営バス「東山仁王門」(31・46・201・202・203・206号系統)下車 徒歩約3分
  • 京都バス「東山三条」(18系統ほか)下車 徒歩約6分
  • 京阪バス「東山三条」(17・19・56・56A系統ほか)下車 徒歩約6分
  • 名神高速道路「京都東IC」より三条通を西へ約15分
駐車場
4~5台(無料)
拝観料
境内自由・無料
お休み
-
拝観時間
9:00~16:30
住所
〒606-8353
京都府京都市左京区東山二条西入1筋目下ル正往寺町457
電話
075-771-0944
FAX
-
公式サイト
安産祈願の寺・洛陽三十三所観音霊場 大蓮寺
走り坊さんの寺・大蓮寺 Twitter
安産の寺 京都 大蓮寺 Facebook
洛陽三十三所観音巡礼 第八番札所 大蓮寺
大蓮寺のダイオウショウ 京都市情報館

大蓮寺(安産祈願の寺)の地図

大蓮寺(安産祈願の寺)のみどころ (Point in Check)

京都市左京区西寺町二条下る正住寺町にある浄土宗知恩院派の寺院。
東山二条周辺の妙伝寺、聞名寺、寂光寺などの50以上の寺院が密集するエリアにある寺院の一つで、正式には、「引接山極楽院大蓮寺(いんじょうざんごくらくいんだいれんじ)」ですが、慈覚大師作と伝わる本尊・阿弥陀如来が安産阿弥陀如来として古くから信仰を集めていることから「安産祈願の寺」の通称で知られています。

「関ヶ原の戦い」のあった1600年(慶長5年)、専蓮社深誉(しんよ・じんよ)が現在の京都市下京区に創建したのがはじまり。

寺の縁起によると、平安初期、慈覚大師円仁がその晩年に比叡山の念仏堂に篭って念仏三昧の修行をしていた時、一体の阿弥陀如来像を彫り、その仕上げに掛かっていると、夢の中にこの阿弥陀如来が現れ、「比叡山から京都へ下りて、女人の厄難(出産の苦しみ)を救いたい」とのお告げがあったといいます。
そこで円仁はお告げに従って女人禁制だった比叡山を下り、真如堂(真正極楽寺)にこの尊像を安置したところ、忽ち京の女性達から圧倒的な信仰を集めるようになり、阿弥陀如来を信仰した多くの女性たちが、出産の苦しみから救われたといいます。

その後、室町時代に「応仁の乱」で真如堂が荒廃すると、阿弥陀如来像も行方不明となってしまいますが、それから百数十年後の1600年(慶長5年)、深誉が伏見の地を歩いていると、一軒の荒れた御堂に金色に輝く光眩い阿弥陀如来があるのを発見。
誰もこの阿弥陀如来をお守りしている様子が無いことに心を痛め、持ち帰って五条に仏堂を建てて安置した、これが大蓮寺のはじまりとされています。

その一方、真如堂は元禄年間に復興すると、失った阿弥陀如来を探し始めますが、やがて大蓮寺の阿弥陀如来がかつての真如堂の本尊であることが判明。
幕府から阿弥陀如来像を真如堂へ返還するように命じられ残念に思った上人が、21日間念仏を称え続けたところ、最後の夜に旅の僧があらわれ共に念仏を唱えることとなりますが、すると次の朝、僧の姿はなく不思議にも阿弥陀如来像が二体に分かれていて、大蓮寺と真如堂で一体ずつ安置することになったといいます。

また1650年(慶安3年)に後光明天皇の典侍・庭田秀子が懐妊し難産に苦しんだ際に、大蓮寺2世・霊光に安産祈願の勅命が下り、祈願の甲斐もあって第一皇女の孝子内親王が無事に誕生。
以降は後光明天皇の安産勅願所となり、天皇が夭折した後は有栖川宮家が継承して念仏道場として信仰したことで、「安産祈願の寺」の通称で知られるようになったといいます。

ちなみに孝子内親王は後に大蓮寺を深く信仰し、後に髪を編んで名号として同寺に納めているほか、上記の縁から寺紋は有栖川宮紋となっています。

明治期に入ると明治初年の「神仏分離令」に伴って廃寺となった八坂神社の前身・祇園社感心院の観慶寺から薬師如来像などの仏像がこの寺に移され、仏像は本堂脇檀に安置されました。
この点、神仏分離以前は日本の寺社の多くは「神仏混交」が一般的で、祇園社の境内にも本殿(天神堂)西側に観慶寺(祇園寺)という寺院があり、祇園社本地仏(本尊)の「薬師如来(重文)」、洛陽八番で10世紀に造られた一木彫刻・かや造りの「十一面観音菩薩」、洛陽十二社中の「夜叉神明王」などが安置されていましたが、大蓮寺の開山・深誉が観慶寺の勧進をつとめた縁もあって、全ての仏像や仏具は大蓮寺に移されたといいます。

そしてこのため本尊・阿弥陀如来の他に十一面観音を札所本尊として、平成の復興にあたり新たに「洛陽三十三観音霊場」の第8番札所とされました。

また明治から大正にかけて、18世住職で金戒光明寺65世法主・芳井教岸の直弟子・籏玄教(はたげんきょう)は「走り坊主」の通称で知られ、奇行や貧困層に対する施しは、京都名物として有名であったといい、亡くなった際には大正7年の新聞紙面で「今一休」と称えられたといい、寺内には2008年(平成20年)に制作された藤野正観筆の「走り坊さん」の掛軸が展示されています。

寺域は当初は現在の西洞院五条の交差点付近、京都市下京区仏具屋通五条下る毘沙門町にありましたが、戦時中に五条通の拡張工事のための強制疎開に遭って移転を余儀なくされ、寺域を東山二条に移り、更に元々この地にあった浄土宗寺院の常念寺と昭和40年代に合併して現在に至っています。

1992年(平成4年)より本堂改築等の境内整備を行い、現在の本堂は1993年(平成5年)に完成したものです。

そしてその本堂前には「大蓮寺」の寺名にちなんだ鉢植えの蓮「花蓮」が育てられており、ハスの名所としても知られていて、蓮(ハス)は白、赤、黄、ピンクなど40数品種あるといい、6月下~8月中旬頃まで楽しめるといいます。

また同じく本堂前にある「大王松(だいおうしょう)」は樹齢百年程と推定される松の巨木で、京都市内でも個体数の非常に少ない松の種類であることから、2006年(平成18年)3月に、「京都市の保存樹」に指定されています。

この他にも応仁の乱以前に現在の岡崎の動物園付近にあった「勝」という字のつく6つの大寺院「六勝寺」のうちの筆頭寺院「法勝寺」の建物の礎石と伝わる石がありますが、これは岡崎の檀家から庭石として寄付されたといいます。

大蓮寺(安産祈願の寺)の施設案内

 

境内

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    山門

    西寺町通沿い

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    参道

    両脇に蓮の鉢が並ぶ

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    本堂

     

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    あんざん弥陀如来の石標

    本堂前

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    絵馬掛

    本堂右、安産祈願の絵馬が多数掛かる

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    納経所

    本堂右奥

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    大王松(だいおうしょう)

    京都市保存樹

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    岡崎 法勝寺の礎石

     

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    布袋像

     

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    墓地への入口

    煎茶道小川流の流祖・小川可進の墓

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    駐車場

     

関連

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    八坂神社

    明治初年の「神仏分離令」に伴って廃寺となった八坂神社の前身・祇園社感心院の観慶寺から薬師如来像などの仏像が移され、本堂脇檀に安置されている

周辺

大蓮寺(安産祈願の寺)の主な年間行事・カレンダー

年中行事

1/1

修正会

 

1/1~1/5

祇園社十二神将公開

 

2月初~3月彼岸

大涅槃図公開

3月彼岸

春季彼岸法要

 

8/1~8/16

お盆

 

9月彼岸

秋季彼岸法要

 

11月第2土曜

お十夜法要

安産阿弥陀如来お腹仏ご開帳

12/8

別時念仏会

要予約

12/31

歳末回向

 

花ごよみ

 

蝋梅(ロウバイ)

 

 

蓮(ハス)

 

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