京都市中京区、世界遺産の二条城の南、三条通の堀川通から千本通にかけて続く商店街。
堀川から千本までの全区間が西日本最大級といわれる全長800mのアーケードで覆われており、「365日晴れの街アーケードショッピング街」をキャッチフレーズに幅広い人々に愛されている商店街です。
1914年(大正3年)に油小路~大宮間の72店舗で発足。
その当時は室町付近から三条大宮にかけてが京都の中心地で家も多く建ち並んでいましたが、三条大宮より西は未だに田畑が広がっており、夜には嵐山や太秦の灯も見えたといいます。
そして昭和初期にかけ地域の発展に伴って大宮より西へと広がっていき、千本通までが範囲となります。
この頃の千本三条は京都北部・丹波から鉄道や水運を使って物資が集まる集積地で、大勢の人で賑わったといいます。
その後、戦時体制下においては大半が配給制となり、商店街活動の中止を余儀なくされましたが、戦後の1946年(昭和21年)に「三条商店会連合」として再結成された際に堀川通から油小路通までの商店が離れて独立し、現在の堀川~千本までの形となりました。
1964年(昭和39年)には初代アーケードが建設され、1979年(昭和54年)には現在のアーケードが当時の最新技術をふんだんに取り入れた2代目として建造されました。
また商店街内には祇園祭発祥の社である八坂神社の「又旅社」があることでも知られています。
平安初期の869年(貞観11年)、京の都に疫病が流行した際に当時の天皇の禁苑であった神泉苑に当時の国の数の66本の鉾を立て、祇園社より神輿を迎えて祈祷を行なったのが「祇園祭」の始まりとされていますが、又旅社はその当時に広大な面積を有していた神泉苑の南端にあたり、御霊会が行われた地に設けられた「斎場」の地に建つことから、「祇園祭発祥の社」とされています。
現在も祇園祭後祭の還幸祭では、神輿が社に立ち寄り「奉饌祭」が行われるほか、期間中には「オハケ清祓い式」や「千団子お授け」などの行事も行われています。
更に商店街のそばには祇園祭における神輿の巡行において中心的な役割を果たしている「三若組(現在の三若神輿会)」の会所もあります。
一帯は江戸初期の1604年(慶長9年)に築城された二条城のすぐ南側に位置しており、築城の頃からしばらくは二条御廻りと呼ばれていましたが、元禄の頃(1690年頃)にから享保にかけて三条台村に地名が変わりました。
そして村の発展とともにその有志によって「三条台若中(三若)」が組織され、八坂神社の神輿渡御に奉仕するようになり、明治までは中、東、西の三座とも、現在においても中御座の渡御を担当しています。
「三条台若中」は、昭和5年に祭りの実行団体の三若組(現在の三若神輿会)と維持運営の祇神会に組織変更され、現在も活動を続けていて、会所も1832年(天保3年)に民家を会所と定めた後、1862年(文久2年)に改築され、現在のものは1927年(昭和2年)に建て替えられたものです。
三条会商店街はこの江戸時代に村の有志によって組織された「三条台若中(三若)」の流れを受け継ぐ商店街です。
現在の店舗数は190店舗。
往時の賑やかしさの面影を感じさせる昔ながらの店が残る一方で、町家を改装したカフェや雑貨屋、美容院など新しいコンセプトでオープンした店も共存しており、新旧取り混ぜたユニークな店舗が揃い、活気溢れる商店街として地元の方々はもちろん、若い客層も増え、多くの地域住民に親しまれています。
また毎年7月第一土曜日に開催される七夕夜市や、夏の屋台村、地ビール祭やお化け屋敷、ブルーベリー祭りなど多くの季節ごとイベントのほか、毎月の売り出しイベントなどが定期的に開かれ、活気あふれる商店街として2009年3月には「新・がんばる商店街77選」にも選ばれました。
2014年(平成26年)には創立100周年を迎え、「三条会創立100周年記念事業」が1年がかりで実施されています。