JR「二条駅」は京都府京都市中京区西ノ京東栂尾町、千本通と御池通の交差する西側に位置するJR山陰本線(嵯峨野線)の駅。JRの駅スタンプは世界遺産の二条城で、京都市営地下鉄PRプロジェクト「地下鉄に乗るっ」のアニメの関連キャラは京都市消防局の消防隊員「二条葵」。
1897年(明治30年)2月15日、現在の嵯峨野線の区間に相当する京都~園部間の路線を建設・運営した民営の鉄道会社・京都鉄道の二条~嵯峨駅(現在の嵯峨嵐山駅)間の開通と同時に開業したのがはじまり。
元々は日本海側の主要都市である舞鶴までの敷設を目指して鉄道免許を受けたものの、1900年(明治33年)に京都~園部間が開業以降は資金難のため園部以北の工事が進まず、このため鉄道の敷設を国策上必須と考えた国は1906年(明治39年)に「鉄道国有法」を公布するとともに翌1907年(明治40年)に京都鉄道を買収して国有化し、以後は国鉄によって舞鶴へ通じる鉄道の建設が進められていきます。
そしてその後1987年(昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化により「西日本旅客鉄道(JR西日本)」の駅となり現在に至っています。
1904年(明治37年)6月に造られた「二条駅旧駅舎」は趣のある明治期の和風駅舎建築で、平安神宮本殿を模した入母屋造で建造され、木造2階建で面積は延べ1312平方メートル、2階には京都鉄道の本社屋が置かれていたといいます。
日本最古の木造駅舎にして明治期に建築された和風駅舎で現存する唯一の例であるとして1996年(平成8年)には京都市市指定文化財に指定されています。
嵯峨野線(山陰本線)の二条~花園間の高架化工事に伴って1996年(平成8年)3月16日に新駅舎が建てられ、旧駅舎は梅小路蒸気機関車館に移築され、屋形のエントランス兼資料展示館として利用されていましたが、2016年(平成28年)に蒸気機関車館が「京都鉄道博物館」としてリニューアルオープンした後はミュージアムショップとなっています。
そして現在の駅舎はその高架化の際に建設されたもので、駅周辺に残る二条城などの歴史的景観と調和しながらも駅の独自性も表現するようデザインされ、高架橋上の柔らかく包み込みような曲線を描いたアーチ型の大屋根は大徳寺孤蓬庵にある縞笠門の形をモチーフとしていているといいます。
また東の旧市街と西側の再開発地域とを結ぶゲートとしての象徴性を持たせているともいい、1996年(平成8年)6月にブルネル賞建築部門の奨励賞を受賞しています。
島式ホーム1面2線を有する高架駅で、駅前東口のロータリーや西口のバスターミナルには多くの桜の木が植えられ、春には美しい桜が楽しめることでも知られていて、中でも駅の東口前にある「一重白彼岸枝垂桜」は16代桜守・佐野藤右衛門監修により植樹されたもので、現在祇園で親しまれている円山公園の「円山の枝垂桜」の3代目にあたるといいます。
2002年(平成14年)にはJR西日本の第3回「近畿の駅百選」にも選定されました。
一方、地下鉄「二条駅」は京都府京都市中京区西ノ京星池町、千本通と押小路通の交差する位置にある京都市営地下鉄東西線の駅。
元々二条駅の面する千本通には国鉄(現在のJR)の駅が誕生した後、1912年(明治45年)から1972年(昭和47年)にかけては、同じ京都市交通局の運営していた路面電車「京都市電(きょうとしでん)」の「千本線(せんぼんせん)」が路面上を走っていて、二条駅の地には「二条駅前駅」が設置されていました。
そもそも京都では明治維新による天皇の東京行幸に伴って衰退の一途を辿る京都を復興させるため、都市基盤の整備や勧業政策など様々な近代化政策が実施されましたが、その中でも琵琶湖疏水はその目玉ともいえるプロジェクトで、その水力を利用した水力発電で生み出される電力を元に京都で日本初の電車が開業することとなります。
1895年(明治28年)に民間企業である「京都電気鉄道」により第1期区間が開業した後、1912年(明治45年)には京都市によって市営の路線が開設され、更に1918年(大正7年)には京都電気鉄道が京都市へと買収されて全面市営化されると、その後は戦後に至るまで路線が延長され、市民の足として大活躍しました。
しかしその後の自動車の普及に伴って乗客の減少が続き、経営が困難となったことで順次路線は廃止されていき、また1969年(昭和44年)には京都の中心部で十文字に交差する地下鉄路線とそれを補完するバス路線網の整備という京都市の新たな交通計画が決定したのを受け、1978年(昭和53年)9月30日には市電は全面廃止となりました。
このうち「千本線(せんぼんせん)」は北は千本北大路から千本通を通り、千本三条から後院通を通って四条大宮まで敷設されていたもので、「二条駅前駅」は1912年(明治45年)6月11日に京都市電千本線が壬生車庫前~千本丸太町間で開業したのに伴って設置され、1972年(昭和47年)1月22日に千本線が廃止されたのに伴い、二条駅前駅も廃止され、市バスへと転換が図られています。
地下鉄東西線の「二条駅」はそれから25年が経過した1997年(平成9年)10月12日に醍醐~二条間で新たに開業されたのに合わせて設置され、2008年(平成20年)の太秦天神川駅に延伸されるまでは終着駅でした。
JR二条駅と2番出入口で連絡し、地下鉄からJRに乗り換えが可能となっていて、JR二条駅とともにターミナル駅を形成しているほか、周辺スポットとしては駅の北西に二条自動車教習所があるほか、駅前に立命館大学の朱雀キャンパスと仏教大学の二条キャンパスが移転したほか、映画館などのテナントが入居するVIVI二条や100年の歴史を誇る三条会商店街などにも近く、賑やかな場所となっています。