京都府京都市中京区四条大宮町、中京区と下京区の境であり、四条通と大宮通の交差する「四条大宮」交差点の南西角にある京福電鉄(嵐電)嵐山本線の嵐山駅とを結ぶ発着駅。
また嵐電の本社は四条大宮交差点から四条通を西へ150mほどのビル内に所在していることから、本社の最寄駅にもなっている駅です。
この点、駅名は四条通と大宮通の交差点「四条大宮」に位置することに由来していますが、このうち「大宮」とは皇居のことを指し、大宮通の前身の「大宮大路」が皇居(大内裏)の東側に接していたためで(そのことは大内裏の西側に接していた通りが「西大宮大路」であったことからも分かる)、その他にも通りの北側に平安京の建設前から存在し、上賀茂神社の旧地との説も残る「大宮郷」がその名の由来であるとも考えられているようです。
そして平安時代の大宮大路は、四条大路とともに交通の要路として栄え、都大路の中でも最も往来の激しい主要な幹線道路の一つであったといい、平安京の創建当初から四条大宮の地は交通の要所でした。
嵐電の四条大宮駅は、1910年(明治43年)3月25日、嵐山電車軌道の京都(現・四条大宮駅)~嵐山間の開通に伴い「京都駅(きょうとえき)」として開業したのがはじまり。
その後1918年(大正7年)に電力会社・京都電燈との会社合併により京都電燈が経営する「嵐山電鉄」の駅となり、1925年(大正14年)11月16日に京都駅から現在の「四条大宮駅」に改称されています。
そして1942年(昭和17年)3月、戦時統制によって京都電燈が解散されるのを受け、同社の京都および福井での鉄道事業を分離・引き継ぐために「京福電気鉄道」が設立され、嵐山線・北野線・叡山線の路線継承によって京福電気鉄道の駅となり現在に至っています。
この点、京福電鉄の嵐山線(嵐山本線・北野線)は「嵐電(らんでん)」の愛称で人々から親しまれてきましたが、2006年(平成18年)11月にはこれが公式の呼称となりました。
現在の駅舎は1986年(昭和61年)7月に新たに建てられたもので、日本生命四条大宮ビルの地上部分南東側と一体化した構造なっており、頭端式3面2線のホームの地上駅で、どこか昭和を思わせるレトロな雰囲気が鉄道ファンや観光客にも人気を集めています。
また2007年(平成19年)からは毎年8月に四条大宮~嵐山間を走る電車の車内をおばけ屋敷にアレンジし妖怪と電車に同乗して肝試しを楽しめる「嵐電妖怪電車」のイベントを開催しており、妖怪ファンや家族連れに人気を集めているほか、妖怪のコスプレコンテストも同時開催し、コスプレーヤーからも人気を集めるなど、嵐電の名物企画としてすっかり定着しています。
京都を代表する観光名所の一つである嵐山や、帷子ノ辻駅からの北野線への乗り換えで世界遺産の龍安寺や仁和寺、更には北野白梅町から北野天満宮や平野神社、金閣寺へのアクセスも便利なほか、四条大宮の交差点向かい北東側には阪急京都線の大宮駅もあり、ターミナル駅を構成しています。
またかつては京都市交通局の運営していた路面電車「京都市電(きょうとしでん)」の「四条線」「千本線」「大宮線」「梅津線」が路面上を走っていて、四条大宮の交差点には「四条大宮駅」が設置されていました。
そもそも京都では明治維新による天皇の東京行幸に伴って衰退の一途を辿る京都を復興させるため、都市基盤の整備や勧業政策など様々な近代化政策が実施されましたが、その中でも琵琶湖疏水はその目玉ともいえるプロジェクトで、その水力を利用した水力発電で生み出される電力を元に京都で日本初の電車が開業することとなります。
1895年(明治28年)に民間企業である「京都電気鉄道」により第1期区間が開業した後、1912年(明治45年)には京都市によって市営の路線が開設され、更に1918年(大正7年)には京都電気鉄道が京都市へと買収されて全面市営化されると、その後は戦後に至るまで路線が延長され、市民の足として大活躍しました。
しかしその後の自動車の普及に伴って乗客の減少が続き、経営が困難となったことで順次路線は廃止されていき、また1969年(昭和44年)には京都の中心部で十文字に交差する地下鉄路線とそれを補完するバス路線網の整備という京都市の新たな交通計画が決定したのを受け、1978年(昭和53年)9月30日には市電は全面廃止となりました。
「四条大宮駅」は1912年(大正元年)9月12日に「千本大宮線」の壬生車庫前~四条大宮間と、四条線の四条大宮~四条堀川間が開業したのを皮切りに、その後梅津線も延伸開業されましたが、1972年(昭和47年)11月22日に四条線・千本大宮線が廃止されて市バスに転換されましたが、その後も四条大宮には四条大宮バスターミナルが設置され、嵐電・阪急と合わせて引き続き交通の要衝となっています。