京都府京都市中京区二条城町、世界遺産二条城の南東、堀川通と押小路通の交差点のやや西側の地下にある市営地下鉄東西線の駅で、二条城の入場口である東大手門へのアクセスに便利な駅です。
1997年(平成9年)10月12日、市営地下鉄東西線の醍醐駅~二条駅間の開通と同時に開業され、駅のすぐそばを南北に走る堀川通にちなんで当初は「堀川駅」と命名される予定であったといいますが、二条城を訪れる観光客のことを考慮して「二条城前駅」に変更されたといいます。
この点「二条城前駅」という名前の駅は、同じ京都市交通局の運営していた路面電車「京都市電(きょうとしでん)」の堀川線(北野線)にも存在していた駅名だといい、それに次いで2代目だといいます。
そもそも京都では明治維新による天皇の東京行幸に伴って衰退の一途を辿る京都を復興させるため、都市基盤の整備や勧業政策など様々な近代化政策が実施されましたが、その中でも琵琶湖疏水はその目玉ともいえるプロジェクトで、その水力を利用した水力発電で生み出される電力を元に京都で日本初の電車が開業することとなります。
1895年(明治28年)に民間企業である「京都電気鉄道」により第1期区間が開業した後、1912年(明治45年)には京都市によって市営の路線が開設され、更に1918年(大正7年)には京都電気鉄道が京都市へと買収されて全面市営化されると、その後は戦後に至るまで路線が延長され、市民の足として大活躍しました。
しかしその後の自動車の普及に伴って乗客の減少が続き、経営が困難となったことで順次路線は廃止されていき、また1969年(昭和44年)には京都の中心部で十文字に交差する地下鉄路線とそれを補完するバス路線網の整備という京都市の新たな交通計画が決定したのを受け、1978年(昭和53年)9月30日には市電は全面廃止となりました。
このうち堀川線は京都電気鉄道(京電)が明治期に建設したものを1918年(大正7年)に京都市が買収したもので、京都駅前から上京区北野天満宮前までを結んでおり「北野線(きたのせん)」とも呼ばれていた路線で、買収後の路線整理が進まないまま1961年(昭和36年)7月31日に全線が廃止され市営バス転換されています。
そして堀川線「二条城前駅」は1901年(明治34年)12月6日に堀川下立売~堀川三条の開業に伴って設置され、現在よりやや北の堀川通と二条通の交差するあたりにあったようです。
島式ホーム1面2線の地下駅で、出入口は3か所あり、このうち1番出入口が二条城の入口となっている東大手門近くにあります。
京都駅から地下鉄烏丸線を経由してアクセスすることができ、また阪急大宮駅や嵐電四条大宮駅へも徒歩10分弱で移動が可能となっており、京都観光には何かと便利な立地にある駅です。
その他に駅の構内1番出口のそばには、東西線建設に伴う発掘調査の成果と、駅に隣接する天皇の禁苑であった神泉苑に関するものなどの出土遺物を展示するミニ博物館が設置されています。