京都府京都市中京区木屋町通二条下ルの高瀬川沿いにある、国の史跡にも指定されている船着場跡。
二条木屋町をやや南へ進んだ「島津創業記念資料館」や「がんこ高瀬川二条苑」のすぐそばにあります。
この点、「高瀬川」は江戸初期、慶長年間の1611年(慶長16年)頃に嵯峨の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい 1554-1614)が物資輸送のために鴨川の水を引いて開いた運河です。
高瀬川水運は京都中心部に物資を運び入れるためのもので、二条を起点として鴨川の水を取り入れ、鴨川に平行して十条まで南下した後、さらに鴨川を横断して、11km余り先の伏見まで通じていました。
明治以降は鉄道輸送などの発達でその役割を失い、1920年(大正9年)に廃止となりましたが、全盛期には100数十隻もの舟が上下して大坂などからの物資を京都に運び入れていたといい、近世の京都の経済発展に大きく貢献しました。
この高瀬川の川筋には、往時には多くの問屋が立ち並んで繁栄を極めたといわれ、中でも多くの材木屋が軒を連ねていたといい、一帯の町名・木屋町(きやまち)の名前の由来にもなっています。
そして高瀬川を通行する「高瀬舟」の荷物の揚げ下ろしをするための船着き場を「船入」といい、当時は二条から五条にかけて7つの船入りが設けられていたといいます。
これらの船入のうち、高瀬川の起点に近い二条木屋町の西側にある「一之船入」は唯一現存しており、江戸時代の交通運輸の貴重な遺跡として、1934年(昭和9年)1月22日に国の史跡にも指定されて保存が図られています。
この点、当時の船入は東西133.5m、南北16mの広さがあり、三方から積み下ろしができたといいますが、現在は東西約20m、南北約6mの堀割りが残るだけではあるものの、一之船入手前の高瀬川には復元された「高瀬舟」が浮かべられ、当時を偲ぶことができるようになっており、また高瀬川の両岸に柳の木の枝が枝垂れる景観は京都の情緒を醸し出す絶好の撮影スポットとして人気を集めています。
更に高瀬川界隈は桜も多く植えられ桜のスポットとしても有名ですが、一之舟入の周辺も南へ向けて桜並木が続いており、4月初旬には四条にかけての一帯で「桜まつり」も開催されて多くの人で賑わいます。
他にも毎年9月の秋分の日には地元の人たちによって「高瀬川舟まつり」が開催され、復元された高瀬舟に乗ることができるほか、舞妓さんによるお茶席(有料)や子供向けのイベント、更には近くの「がんこ高瀬川二条苑」が無料公開されるなどし、こちらも多くの人々で賑わいます。
ちなみに高瀬川に設けられた二之舟入、三之舟入、五之舟入、六之舟入、七之舟入、八之舟入、九之舟入の各舟入は現存していませんが、舟入跡には石標が建てられており、一之舟入を見物した後に石碑めぐりをするのも一つの楽しみ方です。