京都市下京区三軒替地町、京都駅のほど近くにある西山浄土宗に属する寺院。
室町時代の開山で、本尊は阿弥陀如来。
寺伝によると「宗徳寺」は室町時代の応永年間(1394-1427)に行阿(ぎょうあ)によって創建された寺院。
一方「粟嶋堂」は宝徳年間(1449-1451))に南慶が紀伊国淡嶋(和歌山県)から粟嶋明神を勧請して上洛する際、当地付近で急に御神体が重くなったため、これを神意としてこの地に祀ったのがはじまりで、以来、宗徳寺の鎮守社・粟嶋神社として祀られてきました。
1602年(慶長7年)に繁空が中興。
江戸時代には粟嶋明神の霊験は広く伝わり、孝明天皇や光格天皇もたびたび代参しているほか、歴代の后妃も篤く信仰したといいます。
また俳人として有名な与謝蕪村や文人画家・富岡鉄斎も参拝しており、その足跡が境内に残されています。
その後明治時代の神仏分離により粟嶋神社は「粟嶋堂」と改められました。
堂内に粟嶋明神を祀ることから「粟嶋堂」の通称で知られ、「あわしまさん」と呼ばれ親しまれています。
粟嶋明神の乗跡・小彦名命は古くより医薬の祖神として信仰され、男女共に下の病に霊験あらたか。
また粟嶋明神は女性を守る神様で、古くから女人守護の寺として知られ、婦人病をはじめとして、病気平癒や安産子受、良縁、所願成就に御利益があります。
この他に人形供養の寺としても有名で、これは紀州徳川家の雛人形が奉納されたことに端を発しているといいます。