下京区木津屋橋通堀川西入下る東側、旧安寧小学校の西側、堀川通の一筋西側を南北に走る西堀川通の木津屋橋通と塩小路通のちょうど中間あたりにある「洛中七名水」の一つであった「芹根水跡」を示す石碑。
「芹根水」は堀川の脇にあった湧き水で、古くより「洛中七名水」の一つとして知られ、室町期には能阿弥(のうあみ)によって「茶の七名水」の1つにも数えられて多くの茶人たちに愛されたといいます。
堀川と同じ位の水位だったため、江戸中期の宝暦年間(1751-64)には湧き出る芹根水に堀川の水が入らないように洛中の名水の保存と顕彰に努めた書家・松下烏石(鳥石葛辰(うせきかつしん 1700-79)が寄進した井筒で囲まれていたといい、傍らには現存する烏石が「芹根水」と刻んだ石標も立っていました。
それを裏付けるように江戸後期の1780年(安永9年)に刊行された京都名所の案内本「都名所図会」によれば、「芹根水は堀川通木津屋橋の南にあり。近年書家烏石蔦辰(うせきかつしん)、清水に井筒を入れて、傍には芹根水の銘みづから(中略)書して石面に彫刻す云々」と記されており、当時は京の名所としても知られていたと考えられます。
しかし1914年(大正3年)の堀川改修の際に濁水が混入して用をなさなくなり、井筒や石標もいつしか見えなくなったといいます。
一方の堀川もこの区間では現在は暗渠(あんきょ)となって付近の地下を流れており、我々が目にすることはなくなりましたが、1982年(昭和57年)、その堀川暗渠工事に先立って烏石が宝暦年間に建てた「芹根水」の石標が河中より発見されて引き揚げられ、元々石碑があった堀川通木津屋橋よりもやや南西の旧安寧小学校の西の現在地に場所を移して建てられています。