嵯峨天皇が硯石「石の王子」を愛用、丹波きっての名刹
高野山真言宗の山寺。平安初期山より産出する硯石を日本三筆の一人嵯峨天皇が「石の王子」と称え愛用していたのにちなみ949年空也が創建。
寺院としては珍しい茅葺き屋根の本堂と仁王門はともに府文化財で昔話に登場するお寺を思わせる。重文のきゅう漆卓など寺宝も多い。
萩の名所で9月には萩まつりも
岩王寺のみどころ (Point in Check)
京都府綾部市七百石町寺ノ段、綾部市北部の八田地域にある高野山真言宗の寺院。
山号は神宮山、本尊は薬師如来。
平安中期、第62代・村上天皇の949年(天暦3年)に醍醐天皇の第2皇子で「市聖(いちのひじり)」と称された名僧・空也(くうや 903-72)により創建されたのがはじまり。
「岩王寺(しゃくおうじ)」の寺名の由来は、開創より100年前の平安初期にこの地で産出した石で硯石(すずりいし)を作り嵯峨天皇に献上したのがきっかけで、弘法大師空海、橘逸勢とともに日本三筆の一人である嵯峨天皇が好んで愛用し「石の王子であるべし」との勅が伝えられ「石王子」石と書いて「しゃくおうじ」石と命名されたといいます。
そして後に空也上人がこの地を訪れ堂宇を建立した際、聖地にふさわしい石よりも更にどっしりとした「岩」の字を使い「岩王寺」と寺名をつけ、発音は嵯峨天皇の言葉をそのまま使って発音したと伝えられています。
その後、鎌倉末期の1333年(元弘3年)に後に室町幕府初代将軍となる足利尊氏(あしかがたかうじ 1305-58)が丹波国篠村(現在の亀岡市)で挙兵すると、岩王寺の僧徒は一山を挙げて足利氏のために戦勝祈願を行い、その功により田地2町歩の寄進を受けたといい、その頃には寺僧100人、寺領700石を有し、山一帯には堂塔伽藍が林立して参拝する者が絶えず、山陰随一の聖地として隆盛をきわめたといい、現在の一帯の地名「七百石」はこれに由来したものだといいます。
その後、豊臣秀吉が天下を平定すると寺領をことごとく失いますが、歴代の住職や檀徒たちの努力によって法灯は守られ続けていて、現在はいずれも京都府の登録文化財に指定され茅葺きの屋根が印象的な1745年(延享2年)に建立の「仁王門」および享保年間(1716-36)に建立の「本堂」を中心に「茅葺きの山寺」として知られているほか、毎年9月の第2日曜日に開催される「萩まつり・筆供養」の際には多くの参拝客で賑わいます。
ちなみに「岩王寺石」については名声は現在まで伝えられているものの、明治維新頃の山崩れで産出せず、今では幻の名硯となっているといいます。