京都府船井郡京丹波町下山東山、、京都市の北に位置する京丹波町の丹波地区、JR下山駅の北東に鎮座する旧尾長野村の氏神。
素戔鳴命を祭神とする祇園八坂神社の分社で、この地では八坂神社を「天王さん」とも呼んでいるといいます。
平安の昔に都で疫病が流行した際、悪疫を祓う神として牛頭天王(ごずてんのう)が信仰され、祇園の地に「感神院」を建て、薬師如来と合体して牛頭天王が祀られ、御霊会(ごりょうえ)の祭事が行わたことが創建の由来であるとしていて、薬師如来の化身が素戔嗚尊の分身だといわれています。
そしてその後、明治初期の「神仏分離令」に伴う廃仏毀釈によって、感神院は「八坂神社」と改称され現在に至っています。
尾長野の八坂神社の詳しい創建の時期は不明ですが、現在の社殿は火災に遭った後、江戸中期1683年(天和3年)に再建されたものと伝えられ、明治大正の頃は牛の神様として近村から牛を連れた多数の参拝客が訪れて賑わっていたとも伝えられています。
祇園の八坂神社の分社であることから、その関連行事が多く行われており、その中でもよく知られているのが毎年5月下旬の日曜日に開催される「御田祭(おんださい)」で、1970年(昭和45年)春に尾長野八坂神社そばの神饌田を会場として始められました。
本社の八坂神社からも神職や氏子が参加して盛大に行われ、神前に供えられた苗が祭司から田長(でんちょう)、そしてすげ笠に白と赤の着物姿の早乙女8人が、雅楽の調べと八坂舞の巫女の踊りに合わせて苗を植え、田植えが終わると祇園八坂神社の青年部による「獅子舞」の奉納、続いてまだ牛を連れての参拝が行われていた時代に牛が病気にかからないように神前にて太鼓を打ち鳴らしていたのを起源とする丹波八坂太鼓保存会による「丹波八坂太鼓」の奉納演奏が行われます。
また毎年7月に開催される有名な日本三大祭の一つ「祇園祭」においては、7月16日の前祭の山鉾巡行・神幸祭の前夜、尾長野地区の神撰田から約50cmに伸びた緑の稲束「お稲さん」が八坂神社に奉納され、7月17日の神幸祭および7月24日の還幸祭にて神社と御旅所の間の巡行にて使用される3基の神輿の天上部の鳳凰の足元に付けられるといいます。
更に10月中旬には神饌田にて実った稲穂を収穫する「抜穂祭(ぬきほさい)」が行われ、その際に刈り取られた藁(わら)を使用してしめ縄が作られ、12月中旬には京都祇園の八坂神社および地元の尾長野八坂神社の本殿のしめ縄として奉納されます。
1965年から毎年、尾長野地区の住民たちの手によって作られているといい、1年間本殿などに飾られ、本殿に飾る最大のもので直径50cm、長さ3.5mにもなるといいます。
その他にも12月31日の除夜祭には祇園八坂神社から「おけら火」を頂き、頂いた火は初詣の参拝客に火縄にして分けられるといい、これを焚いて家内安全を祈る習わしがあるといいます。