京都府船井郡京丹波町下山岩ノ上、京都市の北に位置する京丹波町の丹波地区、JR下山駅の北東にある真言宗御室派の末寺。
山号は雲晴山、本尊は毘沙門天。
延暦年間(782-806)に鞍馬寺の中興法印・釈峰延(しゃくのほうえん)が小堂を建立したのがはじまり。
創建当時は現在地より北方の空山(深山)の中腹に建てられ栄えたといいますが、後に室町幕府を開いた足利尊氏がこの毘沙門天を信仰し、その帰依を得て1327年(嘉暦2年)10月に麓の下山の現在地に移され、足利将軍家の祈祷所として崇敬を集めたといいます。
その後、天正年間に明智光秀の丹波攻めの兵火などにより多くの堂が焼失していますが、そんな中で国の重要文化財に指定されている本堂と多宝塔は現在も当時の姿を残しています。
このうち現在の「本堂」は1327年(嘉暦2年)の現在地への移転の時に建てられたもので、方五間単層入母屋造の桧皮葺で、内陣が土間なのは京都では珍しく、また本尊として毘沙門天を祀ることから「毘沙門堂」ともいい、このことから寺も「蕨(わらび)の毘沙門さん」の愛称で呼ばれて親しまれています。
また「多宝塔」は1339年(暦応2年)に足利尊氏によって建立と伝わる建物で、鎌倉・室町時代の建築様式を今に伝え、朱塗りの外観と外側に蛙股12枚がはめ込まれているのが特徴的です。
その他に寺宝として鴨長明が1212年(建暦2年)に著した中世文学の代表作「方丈記」の写本で、方丈記の写本としては日本最古に属する貴重なものである「紙本墨書方丈記」や、狩野元信筆の絵馬などを所蔵しています。