京都府綴喜郡井手町、京都府南部、京都と奈良を結ぶ奈良街道を貫流する一級河川で淀川水系の木津川の支流。
井手町の東部または相楽郡和束町の西部の山中に端を発し、上中流部には灌漑用ため池である大正池を経て、井手町の南側を東から西へと流れていき、最後は井手町の西端にある井手町役場の南から国道24号をくぐって北へと転じ、木津川へと注ぐ川です。
奈良時代に皇族から臣籍降下して橘姓を名乗り、源氏・平氏・藤原氏とともに古来の代表的な姓の一つであり「源平藤橘」の一角である橘氏の祖となった左大臣・橘諸兄(たちばなのもろえ 684-757)はこの地に別荘を建て、玉川の堤に山吹の花を植えて楽しんだといい、諸兄は「万葉集」の編者として知られる歌人・大伴家持(おおとものやかもち 718-85)と親交があったことから撰者の1人とも目され、また7首の歌を残しているなど「万葉集」の成立に深く関係していることもあることから、玉川の地は風流の地であると伝えられ、古来より山吹の名所として多くの歌や物語などにその名が登場しており、とりわけ山吹と蛙(かわず)を同時に詠んだ歌は数多く残されていて、梅にウグイスや竹にスズメなどとともに有名な組み合わせの一つであったといいます。
藤原俊成の「駒とめて なほ水かはむ 山吹の 花の露そう 井手の玉川」をはじめ、紀貫之、源実朝、藤原定家、源頼政、宗良親王、後鳥羽院、西行法師、小野小町、和泉式部、紫式部などの錚々たる歌人や歴史上の人物が歌を残していますが、中でも小野小町は橘諸兄が川の北側に建立したと伝わる井提寺にて69歳で没したと伝えられていて、寺には小野小町の墓とされる小町塚が残るほか、小町の作といわれる歌が刻まれた石碑も設置されているなど、小町ゆかりの地の一つとされています。
この点全国には古い和歌に詠まれた「玉川」が6か所ほどあり、総称して「六玉川(むたまがわ)」と呼ばれていて、井手の玉川もそのうちのの一つです。
京都府綴喜郡井手町(山城国)「井手の玉川」
滋賀県草津市(近江国)「野路の玉川」
大阪府高槻市(摂津国)「三島の玉川」
和歌山県伊都郡高野町高野山(紀伊国)「高野の玉川」
東京都調布市(武蔵国)「調布の玉川」
宮城県多賀城市(陸奥国)「野田の玉川」
現代においては2008年(平成20年)に環境省によって全国各地の名水100か所を選定した「平成の名水百選」に選ばれるなど名水の地として知られているほか、下流の玉川堤に約1.5kmにわたって約500本の桜の木が植えられ、春には美しい桜並木のトンネルが広がる桜の名所としても有名となっていて、続いて川堤を黄金色に染める山吹の美しい花とともに合わせて楽しむこともできます。
そして見頃の時期の3月下旬~4月上旬頃には「井手町さくらまつり」も開催され、模擬店なども立ち並んで町中が花見客で賑わうほか、期間中は提灯による桜のライトアップも行われます。
また玉川の近くにはシダレザクラで知られる地蔵禅院や史跡が数多く点在しており、「山吹ハイキングコース」と名付けられたハイキングを兼ねた散策コースとして整備されていて、左馬公園や松の下露跡、大正池、龍王の滝、フルーツライン、高神社などの観光スポットを経てJRの山城多賀駅まで、井手町を反時計回りにぐるっと一周散策することもできます。